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コラム

蟻の一穴

「蟻の一穴」という言葉をご存知でしょう。 大きな堤防も、蟻がつくった小さな一つの穴によって崩れてしまう、という諺です。 実は、これとは全く逆の道理も成り立ちます。つまり、義を実践するたった一人によって社会を正すことができるのです。 (青島重利)

義って何? 人を観る目、社会を観る目ってどうしたら身に付くの? こうしたことを勉強するのが「紀元塾」です。 (事務局)

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今、君たちに必要なのは「論語」だ!

自分は一体どんな存在なのだろう? どんなふうに生きていったらよいのだろう? そんな問いかけに応えてくれるのが「論語」です。

「論語」は、今から約2500年前の中国の思想家孔子とその弟子が語った言葉(語)の中から、孫弟子が後世に残したい言葉を論議して(論)選択し、記録したものです。語を論議して言葉を選んだので「論語」というのですね。

「論語」にはざっと500余りの言葉が集められています。心が爽やかになり元気が出る魔法の言葉がたくさん入っています。それらは実は、宇宙の営みをもとに語られたものです。大昔に語られた言葉ですが、宇宙のお話がベースになっているので、「論語」は時代を超えて読み継がれるのです。

「論語」を読むと、自分の立ち位置や生き方がわかります。迷いや悩みが消え、きっと自信がわいてくると思います。

子ども論語教室「ピーワンちゃんの寺子屋」は、以前、朝日新聞の全国版で取り上げられました。この本は、一冊1000円です。当法人事務局(吉田美代子 048-733-0713)にご連絡をいただきますと、送料無料でお求めいただけます。

 

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為政者は「義」を大切に

市民の幸せ、世界平和と国家安泰、この達成を大きな目標として、今なすべきことを考える(周りのさまざまな”環境”を整える)、これが為政者が行う「義」です。

もう何年も、為政者や官僚たちは、市民ー生活者主体というよりも、自分たちの都合や勝手でものごとを動かしてきたという面が少なからずあるように思われます。

市民の側も、この「義」について思いを巡らす必要があります。優れた為政者は、よい市民によってつくられる、という側面もあるのです。

「義」を大切にし、世のため人のために何を為すかを真剣に考える人が、結局は尊敬され、大成するのです。

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このコラム欄の記事は、作者の記名が無いものはすべて、樫野紀元が書いたものです。

 

 

 

古事記の真説、古事記に学ぶ人間学は、この本を!

これまでコラム欄で、約30回、古事記の真説、そして古事記に学ぶ人間学について、お話しさせていただきました。

ここでお話ししたことは、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)に載っております。詳しくお知りになりたい方は、どうぞ、この本をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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古事記に学ぶ人間学(12)試練に耐えるとよいことがある

大国主命は、愛するスセリヒメの父、スサノオ命から、ムカデがたくさんいる部屋に泊められ、野に出ては草を焼かれて逃げ場を失うなど、度重なる試練を与えられました。大国主命は、強い意思で、こうした試練をすべて乗り越えました。そして美しい瑞穂の国をつくることができました。

自分の運命は自分がつくるものです。とはいえ、不都合なことが生じて、思うように進まないのが普通です。そんなとき、やる気を失い、自信を失い、少しのストレスでも心がくじけたりします。不都合なことは、試練なのです。試練は、その人を発奮させ、忍耐強くさせ、それまでできなかったことをできるようにする特効薬です。大きな目標があると大きな試練があります。大なり小なりの試練は、輝く未来が待っていることの前触れなのです。

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古事記に学ぶ人間学(11)直感は天の声

大国主命はスセリヒメと会ったとき、この人は自分のパートナーになる人、と直感しました。これをフトマニ(霊示)といいます。こんなことをするとヤバイ、などと感じるのもフトマニです。

フトマニは、太古の昔は鹿の肩の骨を焼いて吉凶を占う占術のことでした。その後、何百年も経て「古事記」がつくられたころは、フトマニは神がかりによってもたらされる天啓を指す言葉としても使われました。

懸案であった問題の解決策が突然わかった、何気なく本屋に入って棚を見ていたら自分が必要とする本があった、などというのもフトマニです。心が澄んでいるほど、フトマニを得やすくなります。

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古事記に学ぶ人間学(10)人それぞれに性格が異なるわけ

邇邇芸命(ニニギノミコト)は、宇宙の神様の分霊(わけひ)として、この世に降臨しました。人は受胎したとき、宇宙の神様のさじ加減によって、和、荒、幸、奇の四魂(しこん)が魂留(たまづめ)されます。(一説によると、魂留は、地球から約8000光年のところから、光の何倍ものスピードで、波動によってなされるそうです)

親は飲んだくれなのに子は利発で人望がある、兄は豪快なのに弟は臆病で神経質、姉は人を信じるのに妹は猜疑心が強いなど、親兄弟でも性格が異なることがあります。それは、四魂の与えられ方がそれぞれ異なるからです。例えば、幸魂はたくさん与えられているのに荒魂が少ないと、やさしいが覇気に欠ける、という性格になります。荒魂がたくさん与えられているのに、奇魂が少ないと、やる気は旺盛だが仕事はちょっと、という性格になります。

とはいえ、性格の大部分は、与えられた四魂に加えて、幼年期までに接する親や兄弟など周りの人や環境の影響、そして何よりも、自分はこうありたい、という想いによってつくられます。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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古事記に学ぶ人間学(9)私たちは無数の波動が飛び交う中にいる

大国主命は、兄神たちに殺され、粉々にされました。その粒子を集め、母神の乳でこねて一体にしたところ、大国主命は麗しい若者に戻りました。古代の人は、ものも人も、みな粒子でつくられている、と考えていたのですね。

ところで、すべてのものは粒子でできています。どの粒子も波動を出しています。水素や酸素は原子核と電子(粒子)から成ります。それらは波動を出しています。この二つが合わさって水になると、水特有の波動を出します。私たちは波動をキャッチすることによって、そのものを認識するのです。

人も波動を出しています。テレビやラジオが特定の波動に伝えたい映像や音声を載せているように、人の波動には、その人の”人となり”が載っています。私たちは、その波動をキャッチすることによって、その人の性格や技量を判断するのです。

ともあれ、私たちの周りには無数の波動が飛び交っています。私たちはその中にいて、休むことなく波動のやり取りをしているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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古事記に学ぶ人間学(8)自己紹介で話すこと

天照大神は、いつまでたってもスサノオ命が自立せず、乱暴、狼藉の限りを尽くすので手を焼きました。スサノオを正し、自立させるには、この手しかない、と天照大神は岩屋戸にたてこもり、世の中を暗闇にしました。

自己紹介のとき、何を話しますか? 実は自己紹介でその人の自立度がわかります。一流大学を出た、一流会社に勤めている、などと得意げに話す人は、いつもちやほやされていたい、自立していない人です。親や親せきの社会的地位が高い、家柄がいい、有名人を知っている、自分はこれだけ儲けたなどと自慢する人も自立した人とは言えません。

学んだことや今やっていること、やりたいこと、特技など自分が身に付けたことは自己紹介になります。自分の来し方や失敗談を、自分をさらけ出して話す、これは十分、自己紹介になります。というより、他の人たちと手をたずさえ、共にやっていけることを知らしめる、とても効果的な話になります。

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古事記に学ぶ人間学(7)心のゴミを吹き飛ばす

イザナキの命は、黄泉の国へ行った後で、自分の心の穢れに気がつき、川の水で身体を清め、心の穢れを祓う(取り除く)ことを想いました。そして心の穢れを吹き祓い、天照大神が誕生しました。

心の穢れ(邪念など、心のゴミ)は、自分でそれに気がつき、それを無くそうと強く想わない限り、取り除くことはできません。周りでいくら意見しても、当人が自覚し自分で取り除かない限り、そのゴミは心の中から無くならないのです。

日本では、何それ、と言われてしまいがちですが、欧米では”想い”の研究が、とても進んでいます。アメリカでは、入院患者の病を、何千キロも離れたところから複数の医師が”想う”ことによって治癒したという報告例があります。

モノと想念とのパワーの差は、5対95です。”一念岩をも通す”というくらい、想いのパワーは強いのです。誰しも、何らかの邪念は生じるものです。邪念は、仕事や勉強などの他、対人関係などに好ましくない影響をもたらすことがあります。心に邪念(ゴミ)があると気づいたら、それを吹き飛ばしてやる、とひたすら想うことです。そう想うことによって、ゴミは吹き飛び、心が澄みわたり、爽快な気分になります。

2018319154421.jpgのサムネイル画像  (紀元塾では、邪念を吹き飛ばす「イス座禅」の会を開催しています)

古事記に学ぶ人間学(6)泣き方で、ミルク・おしめか、わがままかを見分けるべし

イザナキの命は、黄泉の国へ行って、自分の心が穢れていることを悟りました。自分で自分の心に気づくことはとても重要、と古事記は教えているのです。

人は生まれたとき、誰にも等しく、善い心が備えられます。しかし長ずる過程で、その善い心の働きが自分勝手、狡猾、卑怯、嘘など他を不快にする心の働きで覆い隠すようになります。このことは、主に周りの人によってもたらされます。特に、赤ちゃんや幼児の頃は、このことに注意が必要です。

ところで、赤ちゃんや幼児は泣くことによって周りの人の目を自分に向けさせます。それがミルク(空腹)やおしめ(生理)に係る要求なら、必ず応えなければなりません。しかし、赤ちゃんや幼児は、わがままで泣くことが多々あります。そんなとき、よしよし、とわがままな欲求をすべて満たすようにしていると、赤ちゃんや幼児は、命令する(泣いてだだをこねる)と周りの人はそれに従う、ということを学んでしまいます。欲求のままに何でも与えていると、子どもにある種の支配力を身につけさせてしまうのです。

ましてや、親や保育に携わる人はもとより、周りの人のわがままな(他に不快を与える)感情を赤ちゃんや幼児にぶつけるのは、最悪です。絶対にやってはならないことです。赤ちゃんや幼児はそうした心の働きをまともに身に付けてしまいます。

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古事記に学ぶ人間学(5)すべてのものに意思があるー八百万の神の真実

イザナキの命とイザナミの命は、私たちの周りにある諸々をつくりだしました。このことは、私たちの身の回りにある諸々はすべて、意思をもっていることを意味しています(八百万の神)。

例えば、太陽は地球に光や熱を供給しています。それは太陽の意思です。海は塩分の濃度をほぼ一定に保ち、大気は酸素や窒素などの量をほぼ一定に保っています。それらは海や大気の意思です。土は、五穀や野菜、果樹などを育てます。風や雷は気圧や電位を調整して、大気や土の電位の安定をはかっています。そして、あらゆる人工物は、それがつくられた目的を遂行しています。すべてのものは意思をもっている生命体と考えることができるのです。

この世に存在するものは、一つとして不要なものはありません。その中で私たちは恩恵を受けて生きている、いや、それら意思をもつものによって支えられ生かしてもらっているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照いただきたく思います。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

 

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古事記に学ぶ人間学(4)5対95則

天照大神は、宇宙の霊力で地下のマグマを励起し火山を噴火させ、噴煙によって世を暗くしました。その霊力は、宇宙の広大な空間に満ちているエネルギーです。

ところで、古事記の冒頭で、タカミムスヒの神様(目で認識される物質の神様)とカムニムスヒの神様(目では認識されない想念の神様)が登場します。実は、宇宙の目で認識されるもの(星やガスなど)と目では認識されないもの(宇宙空間に満ちている素粒子など)の容積の比は、およそ5対95です。つまり、目に見える星やガス(モノ)と目には見えないもの(エネルギーなど)の影響力の差異は、およそ5対95ということなのです。

目には見えない宇宙のエネルギー(95)を作用させることによって、目に見えるマグマ(5)を励起させることなど、わけないのです。敷衍して言いますと、例えば、異性の心をつかむためには、モノ(装身具や宝石など)を贈るよりも、相手を思いやる心の方が、5対95で、よほど大きいということです。

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古事記に学ぶ人間学(3)内面から輝く

古事記では宇宙の創生、宇宙の氣のお話に続いて、人の心-意識の神様(アヤカシコネの神)が遣わされるお話があります。この神様の名前のカシコネは心-意識、の意味です。アヤは、とても大切な、を表す接頭語です。

何をするにしても、必ずその人の人柄が出ます。その人のそれまでの人生が現れると言ってもいいでしょう。例えば、ピアノで同じ音を弾いても、弾く人によって豊かな音になることもあれば、キンキン響くだけということもあります。それは、その人の人柄によるのです。

人は誰もが、人を心地よくさせる善の心の働きと、人を不快にする悪の心の働きをもっています。しっかり自立して、善の心の働きを主に出していると、目が澄み顔が明るくなります。爽やかで温かく力強さを感じさせるオーラが出るようになります。つまり内面から輝くようになるのです。

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古事記に学ぶ人間学(2)富や地位は、世のために活用すべきもの

古事記では、宇宙をつくった神様に続いて、宇宙のエネルギーの神様(ウマシアシカビヒコジの神)が登場します。この神様の名前にある、ヒコジ、は古伝などを参照すると、エネルギーを宇宙空間の隅々に拡げる力(今日、ダークエネルギーと言われるもの)と、エネルギーを引き寄せる力(今日、ダークマターと言われるもの)という、相反する二つの意味を合わせもっていることがわかります。

ところで、太陽は地球や土星などの惑星を従えています。太陽は惑星に光や熱などのエネルギーを与えています。力がある天体が力がない天体に、自分の力を分け与えているのです。こうしたことによって、宇宙全体の秩序と調和が保たれるのです。この世では、富や地位の違いが力の大小をもたらしています。富や地位がある者は、たいていの場合、それが無い者に大きな影響を与えます。

富や地位がある者が、それが無い者を支援することによって、この世の秩序と調和が保たれます。富や地位がある者が、それが無い者を見下し、あるいは自分だけがよければよい、と他を顧みないのは、宇宙のルールに反するのです。

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古事記に学ぶ人間学(1)誰もが善と悪の心をもっている

古事記は、古伝を参照し、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、その冒頭で「宇宙は、物質(目に見えるもの)の神様と想念(目には見えないもの)の神様が協力してつくった」と語られています。なるほど、宇宙は、(目に見える)星やガスと(目には見えない広大な空間ーすべてをつくるもと)の相反する二つからなります。(想念と宇宙の空間との関係は、下記の本「生を尽くす」をご参照いただくとありがたいです)

私たちがいる地球にも、相反する二つが同時に存在します。例えば、昼と夜、寒と暑、男と女……。そして、私たちは身体(目に見える)と心(目に見えない)の相反する二つを併せ持っています。さらに、誰もが心の中に、思いやり、自立、誠実、謙虚、正々堂々、勤勉など「善の心の働き」と、自分勝手、甘え、狡猾、驕慢、怠惰など「悪の心の働き」の二つの相反する心の働きをもっています。(悪は人を不快にする、が原意です)

善の心の働きを出すと、多くの場合、身体によいホルモンがたくさん分泌します。それは、健康で長生きのもとです。一方、人を不快にする悪の心の働きを多く出していると、健康を損ないがちになります。私たちは、そのようにつくられているのです。

つい悪の心の働きを出してしまっても、(それが犯罪になるものでは困りますが)すぐに改めることによって、心の安定と身体の健康を保つことができます。私たちは、このようにも、つくられているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をお読みいただきたく思います。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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そもそも古事記って何?(3)古事記は人の生き方を教えてくれるもの

100万人の人がいたら、100万とおりの人生があります。姿かたちや性格、価値観、その他まさに人それぞれです。でもその100万人に共通するものがあります。それは、誰もが、この世に生き、自分を輝かせる力、そして豊かな人生を送る力が与えられていることです。そのヒントが古事記に示されているのです。

人の本質は何か、この世の本質は何か、自分にはどのような力が与えられているか、古事記を、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、しっかりつかみ取ることができます。さらに、自分自身はもとより、日本人がもっている良いものを再発見することができます。悩みを吹き飛ばし、今すぐできる素敵なことを見つけることができます。

古事記は世界最高の哲学書なのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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そもそも古事記って何?(2)神話に出てくる天は、アマ? アメ?

古事記によく出てくる天は、アメと読む場合とアマと読む場合があります。アメと読むときは、天は宇宙全体を表します。アマと読むときは太陽系を表します。天之御中主大神は、アメノミナカヌシノオオカミ でアメと読みますから、宇宙全体の神様のことになります。天照大神は アマテラスオオミカミと読みますから、太陽系の神様のことになります。

高天ヶ原も、天をアメと読むときは、宇宙全体の神々がいるタカアメガハラです。アマと読むときは、太陽系の中の神々がいるタカマガハラです。

また、アメは極大のもの、と同時に、極小のものも表します。アメは宇宙全体(極大)を表し、同時に粒子(極小)を表すのです。勾玉はアルファベットのCの字に似た形です。勾玉の大きな丸い部分は宇宙全体(極大)を表し、細い部分の先端は粒子(極小)を表しています。大昔の人は勾玉を身に付けることによって、宇宙と一体感を持っていたのではないでしょうか。

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そもそも古事記って何?(1)スサノオ命の八岐大蛇退治の話はギリシャ神話から?

古事記は8世紀の初頭にまとめられました。古事記が書かれる前、天武天皇の命により、川島皇子、草壁皇子そして数名の連(むらじ-古代の姓で、神々の子孫と称する氏)が、「帝紀」(歴代天皇の系譜の記録)や「旧辞」(神話をはじめ地域の伝承の記録)の改訂版を作りました。

天武天皇は、若い舎人(とねり-天皇の傍にいて雑務をこなす人)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に、その改訂版の暗記を命じました。稗田阿礼は,一読または一度聴いただけで、それを憶える聡明さがあったといいます。彼は、古伝や海外から入ってきた寓話も、たくさん記憶していたことでしょう。今から一万年以上前から、大陸や南方の島々と往き来があり、さまざまな文化やお話が日本に入ってきていたのです。紀元前2世紀の頃にはシルクロードを通って、インドやヨーロッパの思想や文化が日本にも入ってきていました。

古事記は、稗田阿礼の頭の中に入っている話の中から、天武天皇の3代後の元明天皇が適宜ピックアップした話を、漢学者の太安万侶が筆記し、まとめたものです。

古事記には「帝紀」や「旧辞」だけではなく、古伝や海外から入ってきた話も載っています。例えば、大国主命が兄神たちに殺され、生き返った話は、縄文時代には、すでに昔話として語られていたといいます。この話は、南太平洋メラネシア地方の言い伝えがもとになっているそうです。メラネシアからは、霊魂はあらゆるものに入っているという話も日本に伝わっていました。また、スサノオ命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する話は、ギリシャ神話の、ペルセウスが怪物の生贄にされかかったアンドロメダを救って妻にした、という話がもとになっているそうです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。これらのことが示されている文献を載せています。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

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古事記の真説(12)大国主命が示す、運命は自分でつくる

スセリヒメと結婚するつもりの大国主命にスセリヒメの父スサノオ命は、あるときはムカデや蜂がいる部屋に泊め、またあるときは草原に矢を取りに行かせ、そこに火を放って追いつめるなど、さまざまな試練を与えました。

大国主命は、そうした試練をことごとく乗り越えました。厳しい試練を乗り越えることができたのは、大国主命が自分自身の未来を切り拓く強い意思を持っていたこと、そしてスセリヒメの陰ながらの助けがあったからです。

そして大国主命は、後に蘆原(あしはら)の国(日本)をつくりました。大国主命の話は、私たちに運命は自分でつくるものであることを教えてくれています。

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古事記の真説(11)まぐあいは互いに顔を見て相手の気持ちを推し量る、の意

スサノオ命のところに行った大国主命は、スサノオ命の娘スセリヒメと会いました。大国主命とスセリヒメはお互い目を合わせただけで、たちまち心を通わせ、結ばれた、と解されている文があります。伝わっているその文は「(大国主命が来たので)出(い)で見て目合い(まぐあい)し、相婚(みあい)して」です。

この文のもともとの意味は、『(大国主命とスセリヒメは)会ったとたん、互いに、将来を共にする伴侶として望ましい相手であると直感した』です。

目合い(まぐあい)は男女の交わりを表す言葉とされていますが、もともとは、互いに顔を見て、相手の気持ちを推し量る、という意味で使われていました。また、相婚(みあい)の相は、みる、そして婚は、縁組を意味します。相婚は、男女二人が同時に、相手が共に未来を切り拓くパートナーとして望ましい、と直観したことを意味しています。

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古事記の真説(10)私たちの中にある四魂(しこん)

天孫降臨の場面、「天照大神の孫、ニニギノミコトは高天ヶ原を出て、たなびく雲を押し分けて進み、いったん天の浮橋にすっくと立ち、日向の高千穂の霊峰に降りて行かれた」について解説いたしましょう。

ニニギノミコトは、古伝によれば、天津日子番能邇邇芸命(あめつひこほのににぎのみこと)です。天津は宇宙の、の意味です。日子は霊凝(ひこ)の当て字で、魂留(たまづめ)された、という意味があります。また、番(ほ)は秀麗な、という意味です。ニニギノミコトはそもそも瓊瓊杵尊と記されます。瓊(に)は光輝く珠のことです。つまり、ニニギノミコトは宇宙の神様の分霊として、秀麗な光の塊となって雲を突き抜けて、地上に天降り(あもり)された、としているのです。

ついでですが、世界中で読まれている「ハリーポッター」は、悪者が自分の魂を日記帳や宝冠など七つの品に分霊し、その七つの品を、主人公のハリーポッターと仲間たちが一つ一つ破壊して悪者をやっつける、というお話です。

さて、古事記にもありますが、古代の人は、人には四魂(しこん)が魂留(たまづめ)されている、と考えていたようです。この四魂は、①和魂(にぎみたま)-秩序と道理を守り、正々堂々、安定、協調、誠実を大切にする心、②幸魂(さちみたま)―他を思いやる心、③荒魂(あらみたま)ー目標設定、挑戦、進化向上する心、④奇魂(くしみたま)ー学習、創造する心、です。人への四魂の入り方は、人それぞれに異なります。2018319154421.jpgのサムネイル画像

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古事記の真説(9)人は粒子が集まってできている!?

大国主命は、兄神たちによって殺されました。しかし、母神や神御産巣日神(想念の神様)のおかげで生き返ることができました。古伝を参照し、やまと言葉を読み解くと、大国主命が生き返った場面は次のようになります。『粉々になった大国主命は、身体を構成していた粉(粒子)を集めて整形し、母神の慈愛を浸透させたところ、澄んだ目の逞しい若者にもどった』

水は水滴(粒子)の集まりです。土器は砂粒のような土でつくられます。昔の人は、ものが粒子でつくられていることを悟っていたのでしょう。そして、人もまた粒子が集まってつくられている、と考えていたようです。

ホツマツタエや天津古世見などの古伝には「あらゆるものは、ムスヒという粒子でつくられ、ムスヒの奥にはさらに小さな粒子ヌチがあり、そしてヌチの奥に極小のアメという粒子がある」とあります。如何ですか? まさに今日の素粒子論に通じるではありませんか。昔の人の知恵には本当に驚かされるではありませんか。

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古事記の真説(8)天照大神の岩屋戸隠れの真実-甘えとわがままは神様がもっとも嫌うもの

古事記の神話の中でもっともよく知られているのは、天照大神が弟スサノオの命のあまりにも自分勝手な行動に手をやいて岩屋戸(いわと)に隠れ、世の中を暗闇にした、という話でしょう。この話の真意は次のようです。

『スサノオの命の甘えとわがままを直すには、この方法しかない。天照大神は、地中の奥深く入り、宇宙の霊力を使ってあちこちの火山をいっせいに噴火させた。噴煙が地上を覆ったので、日の光が届かなくなり、皆困ってしまった』 このお話は神の厳愛(いずあい)がテーマです。

原文は「天照大神、見畏み(かしこみ)て、天の岩屋戸、閉(た)ててさしこもる」です。古伝を参照し、やまと言葉を読み解くと、見畏みて、は宇宙の霊力を操るのは宇宙の神様に畏れ多いことながらという意味になります。岩屋戸は地中深くにある岩盤を指します。閉てて、は戸を閉めるに加え、身を投じる、の意味があります。さしこもる、は挿し籠るで、深く入り込む、です。天照大神が地中の奥深くに入って行ったのは、身を隠すためではなく、閉じ込められている火山のエネルギーを解放するためだったのです。

この場面は日食であった、とする説があります。しかし日食はほんの一瞬です。天照大神に岩屋戸から出て再び地上を明るく照らしてもらう(岩屋戸開き)ために、神々がいろいろな策を講じる記述が長々と続くところからも、地上が暗闇であった時間は長かったことがわかります。

M8,M9の大地震があると、連動して数年の間に火山の噴火があることが知られています。古事記では、スサノオの命が地上から天界に向かうとき、大きな地震があったと書かれています。それは、火山の噴火の前兆であったことを示しているのです。

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古事記の真説(7)禊 ー清らかになりたいと一途に想えば穢れは消える

イザナキの命が禊(みそぎ)をする場面は、「吾(あ)は、しこめしこめき穢(きたな)き国に到りて在りけり。御身(おおみま)の禊祓(みそぎはらえ)せむ」と語られています。この本当の意味は次のようです。『私の心は邪念によって穢れていた。禊祓いして清らかな状態に戻ろう』

吾は自分のこと、しこめは(女の鬼ではなく)邪念を表します。穢き国は、清らかな心の向こう側にある(仕切られた)穢れた心という意味です。到りて在りけりは、そういう状態にどっぷりつかっていたという意味です。

人が生まれたときに授かった清らかな心を素下霊(すくひ)といいます。素下霊の人を真人(まひと)といいます。禊祓いは、身添氣祓い、つまり想い(氣)で穢れを祓い(取り除いて)、真人に戻ることをいうのです。水で身体を清める禊は、水滌(みそぎ)祓いのことで、水で身体の穢れを洗い流すことをいいます(今日では、手や口を水ですすぐことで清めとすることが多いです)。イザナキの命は、この両方を行いました。

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古事記の真説(6)自分の心の穢れを見る

イザナキの命が黄泉の国に行ったときのことです。そこでイザナキの命が見た、イザナミの命のなきがらが蛆に噛みしだかれ雷撃を受ける光景は、イザナキの命自身の心の穢れを現すものでした。

そもそも黄泉の国は、死者の魂が天界に通じる雲梯(うなで)を上る準備をするところです。(国は、仕切りで分ける、のこと)イザナミの命がイザナキの命に自分の姿を見られるのをいやがったのは、化粧しているところを他人に見られたくないのと同じで、雲梯を上る準備をしている自分の姿を見られたくなかったからです。にもかかわらず、イザナキの命は今すぐ妻に会いたいという気持ちを抑えきれず、自分勝手に行動したため、妻の心を深く傷つけてしまいました。

古代の人は、自分勝手、高慢、狡猾、卑怯、嘘、むさぼりなどは、心の穢れがもたらすものと考えていました。

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古事記の真説(5)イザナキの命、イザナミの命に与えられたミッション

イザナキの命とイザナミの命、この妹背の神様(夫婦の神様)は、水、樹木、川、山や野、風など自然界の諸々をはじめ、私たちの身の回りにあるもののほとんどを神様としてつくり出しました。そもそも宇宙の神様は、イザナキの命とイザナミの命に、次のミッションを与えていました。

それは「この漂っているくにをしっかりしたものに修理(つくり)固めなさい」というものでした。この真訳は『今とても不安定な状態にある地上を、生命を健全に育み、しっかり養える場所にしなさい』です。

ところで、くに(州)には、天に対する地、生命を育むところ、の意味があります。つくり固め、は安定させるという意味です。このミッションを受けて、イザナキの命とイザナミの命は、まず人の生活の場としての島々をつくり、その島々に生れた生命を養うために、水や樹木、川などの神様、そして身の回りにあるものをつかさどる神様など、さまざまな役割を受け持つ神様をつくり出した、ということなのです。

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古事記の真説(4)日本列島は海底火山の噴火によってつくられた

さて次は、イザナキの命とイザナミの命の登場です。

古事記の解説書では「イザナキの命とイザナミの命は、天(あめ)の浮橋に立ち、天の沼矛(ヌホコ)を海に差し入れ、海水をかきまぜて引き上げたところ、その矛の先からしたたり落ちる潮が積もって島になった」としています。しかし、古事記で語られているやまと言葉を、古伝を参照して読み解くと、この真訳は次のようになります。

『イザナキの命とイザナミの命が天と地をつなぐ通路に立って、宇宙の神様からあずかった宇宙の霊力を海に差し入れると、海底火山の噴火が起こり、その噴火によって陸地(島)ができた」

天の浮橋は天の御柱の別称で、天と地をつなぐ円筒状の霊や魂が通る通路のことです。古伝では、この通路を雲梯(うなで)といっています。また、沼矛(ヌホコ)は、古伝によれば、大きな宇宙の霊力のことです。古事記を書くときに、ホコに矛の字を当てたため、ヌホコは大きな武具と解されたのです。その霊力が海底深くにあるマグマを励起して海底火山を噴火させ、その噴火によって海上にみるみる陸地ができた、としているのです。

ちなみに、ヌホコを海に差し入れるところは、原文では「潮こほろ(呂)こほろに画(か)き鳴(な)して」とあります。潮こほろこほろは、海底にヌホコを伝える様を表しているのです。ろ(呂)は連続して、の意味です。そして、画き鳴して、は海面上を、ここからここまで、と筆でなぞるようにヌホコを動かしたため、海面上に綿状に波が立ったさまを表しているのです。

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古事記の真説(3)身体の神様と心の神様

古事記では、続いて、人がこの世に誕生したとき生活に困らないよう、土地をつくる神様、木や作物を育てる神様、そして住まいの神様、計3組の妹背の神様が地上に派遣されたというお話があります。妹背の神様というのは夫婦の神様のことです。

そして、人の身体-姿形の神様(オモダルの神)と心-意識の神様(アヤカシコネの神様)が遣わされた、と書かれています。

オモダルは古伝によれば、面足る、で人の顔や姿形-身体の神様です。アヤカシコネのアヤは、とても大切な、を表す接頭語です。カシコネは心-意識のことです。宇宙の神様は、人に身体-姿形(目に見えるもの)と心-意識(目に見えないもの)の二つを合わせ持たせたのですね。オモダルの神様とアヤカシコネの神様は妹背の神様(夫婦の神様)です。

(このシリーズでは、ホツマツタエ(縄文時代からの真に秀でたものの伝承)やモトアケ図(宇宙における神々の配置図)などの古伝を参照しています)

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古事記の真説(2)宇宙の氣ー宇宙にはエネルギーのもとが満ちている

古事記の出だしのところでは、さらに宇宙のお話が続きます。

「世界がまだ固まっておらず、ふわふわの状態であったとき、葦が芽をふくように勢いがよい神様、ウマシアシカビヒコジの神が現れた」

この真意は『宇宙がまだ混沌としていたとき、まず、宇宙の氣の神様がそこにエネルギーを供給した』です。

ウマシアシカビヒコジの神って、長い名前ですね。実はこの神様はウマシアシカビの神とヒコジの神の二柱の神様が合わさって一柱の神様になっているのです。

さて先頭のウマシは、尊い、とても大切な、を表す接頭語です。アシカビは葦芽の当て字で、一般の植物より勢いよく成長する葦の若芽を指します。この神様は宇宙に充満する生命を養うエネルギー、すなわち宇宙の氣の神様です。古代の人は目には見えないが、身の回りに感じる氣(気配)は果てしなく広がる宇宙空間にもあると悟っていたのでしょう。そしてこの氣は私たちの活動のもとになるエネルギーと考えていたようです。

ヒコジは、古伝によれば、宇宙の氣を宇宙空間の隅々に拡げる力のことです。同時に宇宙の氣を引き寄せる力という意味もあります。

いかがですか? 古事記に書かれている、やまと言葉や古伝を解読すると、今日の宇宙物理学のもとを語っていることがわかるではありませんか!?

ちなみに、古い言い伝えや記録を古伝といいます。このシリーズでは、古神道のもとともされるホツマツタエ(縄文時代からの真に秀でたものの伝承)やモトアケ図(宇宙の最高神を中心に神々が配置されているもの)などを参照しています。

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古事記の真説(1)古代の人が語るビッグバン

古事記の神話は、そこで語られているやまと言葉の真意をもとに読み解くと、何と! 古代の人はすでに宇宙の仕組みや物理の法則をある程度解明していたことがわかります。

さっそく読み解いてみましょう。古事記の出だしは次のようです。

「天地が創られたとき、高天原(たかあめのはら)に、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)がお出ましになった。次に、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神御産巣日神(かむみむすひのかみ)がおみえになった」

この真訳は次のようです。

『宇宙は、宇宙の神様の命により、物質をつくる神様と想念の神様が協力し合って瞬時につくられた』

こんな訳になるなんて全然信じられない、と思われるかもしれません。実は古事記に登場する神様たちの名前には、それぞれに意味があるのです。最初に登場する天之御中主大神についてお話ししましょう。天(あめ)は宇宙全体を表します。御は尊重すべき、または平和に治めるという意味があります。中は中央、主はあるじです。つまりこの神様は宇宙の中心にいる宇宙のあるじで、もっとも偉大な大神様というわけです。古伝によれば、この大神様は天御祖神(あめみおやかみ)です。この神様はギリシャ神話のゼウスやローマ神話のジュピター、仏教の大日如来のように、すべてを創り出し、そのすべてを治める最高神を言うのです。

次に登場する高御産巣日神と神御産巣日神は、宇宙の大神様を補佐する二柱の神様です。古伝によれば、高御産巣日神は天並神(あなみかみ)です。並は、二つのものが合わさって目に見える物質をつくる、という意味です。高は敬意を表す言葉です。つまりこの神様は、尊敬すべき物質の神様という意味なのです。神御産巣日神は古伝によれば、天元神(あもとかみ)です。元は大きな力のもとという意味です。古代の人は大きな力のもとは想念である、としていました。つまりこの神様は目に見えない想念の神様という意味なのです。

今から数千年以上も前から、日本には、宇宙は物質と想念が掛け合わさって瞬時につくられた、という言い伝え(カタカムナ)がありました。古事記はこの言い伝えを参考にして語られたと思われます。

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古事記の真説ーこれから連載します。本居宣長も間違えた! 誤訳が生じる訳

このコラム欄では、「古事記」の神話が伝える本当の意味を、ご紹介させていただきます。神話の中から10のお話をピックアップしいたします。

あまり知られていませんが、「古事記」の神話は、古伝(ホツマツタエや天津古世見など、何千年も前からの真に秀でたものの伝承や記録)を参照し、また、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、「古事記」は、実は宇宙物理学にもとづいた、世界最高の哲学であることがわかります。

ところで、「古事記」の筆記を担当した太安万侶自身が「自分は稗田阿礼が語るやまと言葉を記録する際、単にその発音に合う漢字を当てた(音写)箇所が多々ある。そうした箇所は、もとの(やまと言葉の)意味が伝わらないかもしれない」と述べています。

「古事記」は(平城京の完成祝いに献上するため)約四か月という短い期間でまとめられました。その頃、すでに日本古来のヲシテ文字ややまと言葉が使われなくなってから400年以上経っていました。音写の部分が多いのは、やむを得なかったのかもしれません。しかし、音写の部分は、ともすれば、当てられた漢字の意味が独り歩きします。例えば、天のヌホコには天沼矛という字が当てられています。そもそもヌホコは宇宙の霊力のことです。しかし、矛の字が当てられているので、もっぱらヌホコは武具の意味で解されているのです。このような誤訳は「古事記」のあちこちにみられます。

このコラム欄では、できるだけ古伝を参照し、また、やまと言葉を読み解いて、可能な限り「古事記」の真実に近づけるようにしたいと思います。

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大丈夫って、本当はどんな意味?

「大丈夫」は、広辞苑には「立派な男子、しっかり危なげがないこと」と出ています。「大丈夫」の所以は、孟子の「目指す地位が得られたら人民とともに正義を行う。目指す地位が得られなかったら、自分一人で正義を行う。それが大丈夫の男子」の言にあります。

邪な人でもお金や地位があると、人はもてはやします。正しくてもお金や地位が無い人は、たいてい見向きもされません。しかしお金や地位が無い人にもていねいに接する、つまり、正しい人には正しく接する、それが大丈夫の人なのです。

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大切なものを手放す 可能な限り身辺には何も置かず

亡父が旧制高校に入学した昭和12年、祖父は父のために豪壮で重厚な机と本箱を誂えました。

それらは私が幼少の頃から学生時代、そして社会人になってからもずっと傍にありました。その机と本箱を私は、転職にともなう引っ越しをきっかけに(財)家具の博物館に寄贈しました。ぜいたく品を好まない私は、豪壮な家具を身辺に置くことは筋が通らないとずっと思っていたこともあります。

その机と本箱は、まさに父の形見であり、何年も使っている間に私の分身になっていたのですね。寄贈して後、何年もの間、それらを手放したことを強く後悔することがしばしばでした。時々、夢にも見ました。

あるとき、私は家具の博物館に行きました。そして机が展示されているのを見て、思わず引き出しを開けました。芳香を出す木を使っているためでしょう、そこから、懐かしい香りがただよってきました。

老子(中国戦国時代の思想家)は「何もかも手放し、他人に与え、自分はさらに心豊かである」と言いました。大切なものを手放しても、ひたすら頑張って理想の境地について想いを巡らす、それが今の私の方針です。(樫野)

 

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君子と小人は紙一重。君子でいると楽しいことが多くなります

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君子は行い正しく人徳がある人、小人はこせこせして器量がない人、をそれぞれ指すことが多いです。実は、誰もが君子と小人の二面をもっています。

おだやかでさりげなく気をつかい周りの人が心地よくなるようふるまうと君子になります。一方、つい自慢したり自分勝手な行動をとると小人になってしまいます。上から目線の人、パワハラやアカハラをする人も小人です。

君子でいると人が寄ってきます。情報も集まります。そして楽しい時間を過ごすことが多くなります。君子でいることを志向する方が、気分がいいし、身体によいホルモンがたくさん出ます。人はそう創られています。

自分のもち味が生かされないときや立ち位置がはっきりしないときは潜龍になりましょう

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器量の無い者が高い立場に立ち、理不尽なことがまかり通る世の中で、自分のもち味が生かされないときや立ち位置が定まらないときは、ひたすら勉強して力をたくわえることです。

能力があるのに下積みがつづき、表に出られないときは、とかく落ち込みがちです。でもそんなときは、実は力を蓄えるいい機会です。とかく思い通りにいかないときは、地下にもぐって力をつける、つまり「潜龍」になりましょう。

世のため人のために活動すると気分を爽快にするホルモンがたくさん分泌される

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世のため人のために活動すると、気分が爽快になるホルモン(セロトニンやβエンドルフィンなど)がたくさん分泌するそうです。

カトリックの修道女マザー・テレサさんは、インドのコルカタというところで、貧しい人や孤児、病に臥せっている人たちを救うために献身的に活動しました。それによって身体によいホルモンがたくさん分泌したのでしょう。マザー・テレサさんは健康で長生きし、人々からとても慕われました。

日光東照宮の三猿・本当の意味

日光東照宮の建物に三匹の猿の彫刻が掛けられています。それぞれの猿は目、耳、口を両手で隠しています。これは世の中の悪いものを見ざる、聞かざる、言わざる、という叡智を猿に掛けて表しているとされています。

しかしよく見ると、この三匹の猿は子どもの猿であることがわかります。この三猿は、親は子どもに悪いものを見せない、聞かせない、話さないを表しているのです。子どものうちから生きていく上で大事なことを身に付けるよう教えているのです。

大人は、悪いものがあったら、しっかり見て、聞いて、それを改めるよう声を出すのがいいのではないでしょうか。大人が見ざる、聞かざる、言わざるというのは、保身にはなるかもしれませんが、どこか、大事なことから逃げているようではありませんか。

「生きるってどういうこと?」

「生きるってどういうこと? 私たちは何のために生きるの?」

祖先が残したよいものを継承し、子どもたちによい日本を残すこと、そのために私たちそれぞれが進化向上を図ること(目標をもつこと)、そして何ごとによらず、純に筋を通してまっすぐに生きること、これが私たちに与えられた一つの大きな使命です。

私たちはその使命を果たすためにこの世にいるのです。

私たちには、その使命を果たすための心の働きと尽きないパワーが与えられています。そして、与えられ続けます。

それは、具体的にどのようなもの?

それらについては「紀元塾」でお話させていただいております。

このお話は、樫野著「生を尽くす」にも載っています。

(この本に関するお問い合わせ、048-733-0713 事務局)

社員の人間力を評価する尺度

社員の人間力を評価する尺度にはさまざまなものがありますが、とりあえず次の①~⑤は役に立つと思われます。

①人を侮ることなく丁寧で謙虚であるかどうか、②気持ちがゆったりして懐(ふところ)が深いかどうか、③誠実で約束をしっかり守るかどうか、④他に対してこまやかに気を配り、きびきび動くかどうか、そして何よりも、⑤他に対して思いやりがあるかどうか。(孔子の言を参考に作成)

これら①~⑤について、各項、・よく当てはまる、・まあ普通、・あまり当てはまらない、の三段階に分けて評価します。

社員を評価するとき、それぞれの分野での仕事の能力や成果をもとにすることが多いようですが、人間力を的確に評価することは意外に少ないようです。実際、上の①~⑤にそれなりに当てはまる人は、仕事に対する意欲も能力もあり、成果に期待できるのです。

例えば、①によく当てはまる人は侮られることがありません。②によく当てはまる人は頼もしい人と思われ、人がついてきます。③によく当てはまる人は役職に就けるに値します。④によく当てはまる人は仕事がよくできます。⑤によく当てはまる人には人がよく従ってくれます。

特に、昇任・昇格させるときなど、仕事に対する能力がほぼ同じなら、この①~③の評価がより高い、つまり人間力がより高い人を選ぶことが望まれます。

現実には、多くの会社で、上司の気に入りの部下やおもねたりおべっかをつかう部下を取り立てる例が多く見受けられます。こうした人事を重ねていると、いつしかその会社は衰退していきます。

客無視の販売主義が幅をきかせるという風潮は、長くは続きません。これまで、世の人たちが本当に求めているモノについてのしっかりした分析も無く、単に今は売れるという見込みでモノをつくって世に出している例は多いです。これからの多品種少量生産・消費の時代、世の人たちが本当に求めているよいモノを見極め、それをつくって提供し続ける限り、その会社は発展することはあっても、つぶれることはありません。

会社のミッションは、世の人たちが本当に求めているよいモノをつくって提供することです。

ここで評価される人間力が高い人は、そもそも能力があるだけではなく、人を観る目、世の状況を観る目をもっているものです。そして自分の持ち味やそれを生かす道も心得ているものです。

人間力が高い人が一人でも多くいる会社は、企業文化が洗練され、心地よい職場環境がもたらされます。企業文化が醸成され、洗練され、若手も働きやすい環境になります。社員は不安もなく、生き生きと活動できます。個々の社員の”お役たち力”も向上するのです。

                                                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間力を評価する尺度

孔子の言を参考にすると、人間力は、とりあえず、①丁寧で謙虚であるかどうか、②気持ちがゆったりしていて懐(ふところ)が深いかどうか、③誠実で約束をしっかり守るかどうか、④周りに気を配ってきびきび動くかどうか、そして⑤他に対する思いやりの心をもっているかどうか、について、それぞれ、よく当てはまる、まあ普通、あまり当てはまらない、の三段階で評価できます。

会社の人事考査では、それぞれの分野における仕事に対する能力評価を基本とし、人間力に関する評価はあまりなされていないようです。人間力は、この①~⑤の項目について、それぞれ三段階で評価するやり方が結構役に立つと思われます。

昇格させるときなど、仕事に対する能力が同じなら、この①~③について、よりよく当てはまる人を選ぶことが会社発展のもとになります。今日、上司の好き嫌いによる人事、おだてたり阿る部下を取り立てる、などの人事が多く見受けられます。こうした感情中心やエコひいきによる人事を重ねて会社が衰退していった例はたくさんあります。

 

一般論ですが、会社のミッションは、本当によいものをつくって世の中に提供することです。世の中の需要に的確に応えるモノを提供し続けるかぎり、その会社はつぶれることはありません。いや、発展し続けます。

今、世の中では、”客無視の販売主義”が幅をきかせているように思われます。これから多品種少量生産・消費の時代になっていくことは明らかですが、世の中の人が本当は何を望んでいるか、しかるべき分析がなく、その時点でとりあえず売れそうなモノをつくって買ってもらえればよい、という企業文化があることは否めないでしょう。

 

端的に言いますと、ここに示す①~③でよい評価を得る人は人間力が高い、と言えます。人間力が高い人は、概して人を観る目、社会の情勢を見極める目をもっているものです。また、自分の持ち味と役割が何であるか、そしてそれをどう生かすかを明確に知っているものです。さらに、志を高くもっているものです。

人間力が高い人が一人でも多くいる会社は企業文化が洗練され、伸びしろがより大きくなるのです。      

 

 

 

 

古事記は科学に立脚した世界最高の哲学書

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会社経営者、社員研修のすすめ

「5対95則」をベースにした

「こんな会社っていいね」研修のお知らせ

詳しくは活動案内をご覧ください。

第2回「ビジネス人間学」講座のご案内

樫野紀元による「ビジネス人間学講座」

ningengaku2.JPG 第2回ビジネス人間学講座のご案内です。

人によって違いますが、心の癖とでも言うものを持っています。私達は意識無意識の中で様々な判断と選択を繰り返しながら、日々生活を送っています。

 特にビジネスシーンにおいては、この判断と選択が成果、評価、報酬など様々な有形無形に反映され来ます。原因があり結果があります。

 また、原因と結果だけではなく原因+縁=結果

的に言われる事があります。性はこの縁をトリガーとして様々な結果となって現れるのではないでしょうか。

 ビジネス人間学講座を是非、「縁」として頂いて、ビジネスにも実生活にも最良の「果」を得て頂ければ幸いです。

予約なしで、ご参加頂けます!

活動案内をご覧下さい!

 

塾頭代行 徳地良行

「政治のリーダーを選ぶ目をもとう」

「政治のリーダーを選ぶ目をもとう」

「そのなすところを視(み)、その由(よ)るところを観(み)、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞかくさんや」(「論語」為政編)

 (その人がやっていることに注意し、その言動がどんな価値観や知識にもとづいているかを確かめ、その人がどんなことで心が安らかになるかがわかれば、その人がどのような人であるか、が明らかにわかります。到底、かくせるものではありません)

 特に、政治のリーダーがどのような人であるか、よく見極める必要があります。

 具体の例はあえてお話しいたしませんが、政治のリーダーが君子であれば、市民は安心して仕事に励み、豊かな生活を送る希望を持てるようになります。一方、リーダーが小人であれば、世に悪がはびこり、市民はすっきりしない不幸な日々を送るようになります。

 (君子は、人格が立派で尊敬される人。小人は、徳や器量が無い人)  リーダーが、正しい心をもって筋を通し、理想をもって市民を導けば、必ず賛同者が増え、よりよい社会をつくることができるのです。

 私たちは、国や自治体のリーダーには、必ず君子を選ぶ要があります。

 そのために、一般市民である私たちは、いつも、今ご紹介した「論語」のこの言葉を参照する要があります。

 一つの例ですが、先日報道された、某自治体のリーダーであった人(元知事)の記者会見での話と地方議会での証言は、自分にとって都合が悪いと自らが感じたであろうところについては、それは役人や専門家、議会が決めたこと、記憶がないなど、責任のがれや自己弁護が多いという印象でした。おまけに、時々声を荒げ、傲慢ともとれる言もありました。

 「小人は諸(これ)を人に求む」(小人は自分の失敗などを人のせいにする)、「小人は驕(おご)りて泰(やす)らかならず」(小人は傲慢で思い上っていて、ゆったりしていない)、「小人は文(かざ)る」(小人は言い訳する)(以上「論語」より)

 なすところをみれば(記者会見での話と議会での証言に限り)、その元リーダーは、まさに「論語」で示される小人、と思われてもしかたがありません。

(「論語」に興味をお持ちの方は、樫野紀元著「心を元気にする論語」青春新書をご参照いただけましたら幸いです)

「階層や序列をつくるのは人間の性(さが)」

「階層や序列をつくるのは人間の性(さが)」

樫野紀元

 私たちは、家族、会社や学校、地域社会、国という階層に属しています。また、会社を例にすると、社長、役員、部・課長、係長、一般の社員というような階層があります。

 階層が上位であるほど、力があります。序列は力の大きさによって決まります。序列が上であるほど、概して収入が多いです。また、何らかの会合の際、席順は、参加者の地位や職責をもとに決められます。

 そして人は、自分が属する会社組織などで、より上の地位を求める傾向があります。

 宇宙には何億もある銀河団、個々の銀河、その銀河の中にあるいくつもの恒星、その恒星が引き連れている惑星、惑星が引き連れている衛星、という階層があります。恒星は惑星より力があり、惑星は衛星より力があります。

 会社組織をはじめ、社会のいろいろなところで階層がつくられているのは、私たちがいる社会が宇宙の縮小版(相似象)であるからです。

 自分が属する会社組織などで、より上の地位に就きたいと思うのは、ごく自然のことかもしれません。

 ところで、「論語」には次の言葉があります。

 「富と貴(たっと)きは是(これ)人の欲するところ也。その道をもってしからずんばこれを得ても処(お)らざる也」

 (たいてい、人は、財をため高い地位に就きたいと思うものです。しかし、人の道を踏み外すようなやり方で富を得、高い地位に就いたのであれば、その富や地位は自分のものにはなりません。いつか失うことになります)

 いつも、誠実に真摯に、他人の怨みをかうことなく、正々と仕事に取組むことです。思いやりをもって他の人と接することです。より上の地位は、そのうち、向こうからやってきます。

 堂々と仕事をした結果それなりの地位に就いた人を、その地位から外そうと邪に考える人がいるとします。その邪な考えをもった人が会合を仕切って、意図的に席順を下げるなどの手段をとって、その地位にいる人を貶めることがあります。

 そんなとき、貶められて嫌な思いをしても、しずかにその場をやり過ごすのが君子です。

 いたずらに上位の席順を求める人、人を貶めるために席順を下げる人、などは二流の人です。こんなとき地位や席順などにこだわらないのが君子なのです。

音楽も「5対95則」-歌は心で歌う-

樫野紀元

イラスト 加藤深雪


○カラオケでいい点を取る人は歌がうまい?

 カラオケの点数は、音程やリズム、声の大きさ、こぶしの有無などによって良くも悪くもなります。これらをきちんと歌って点数が良いと、うまいね、と歓声をあげたりします。

 でも、カラオケの点数は必ずしも歌唱力を評価するものではありません。そこには、歌う心を評価する仕組みが入っていないからです。いくら音程などを正しく歌っても、心がこもっていないと、聴く人に感銘を与えることはできません。その人は歌がうまい、とは言えないのです。

 実は、音楽も「5対95則」です。音程やリズムなど音楽の技術は5,演じる心が95なのです。歌の場合、気分がいいとき、鼻歌が出ますね。たとえ音楽の技術に沿っていなくても、そばで聴いていて心地よいものです。森繁久弥さんが歌う船頭小唄など、聴いてしみじみしますね。それは、そこに歌の心があるからです。

 もちろん、ある程度、音程やリズムなど音楽の基礎技術がないと聴くに堪えないでしょう。でも音楽はあくまでも心なのです。

 さらに言えば、心が清らかな人の歌は、耳にとても心地よく、感銘を与えます。よこしまな人の声はどこかいやらしく、聴いていて不快になります。

 指揮、歌、楽器の演奏も同様です。品格がある人の音楽は格調が高いです。がさつな人や自己中心的な人の音楽は心が落ち着きません。

○心を込めて歌うには、まず曲想をつかむ

 歌には歌詞があります。歌を作るときは、まず歌詞があり、その歌詞に合う曲を作る、というのが一般です。

 心を込めて歌うには、何よりも、その歌の曲想をつかむことが必要です。歌詞にどのようなメッセージが込められているか、そのメッセージがどのようなメロディラインに載っているか、そして、その歌のどの部分でそれを強調しているか、をつかむことが必要なのです。これが、曲想をつかむ、ということです。

○音楽に親しむ

 学生時代、東大の音楽仲間とよくつき合っていました(今でもつき合っています)。東大には、東京芸大の指揮科を出た若い人が来て、助言してくれていました。

 学生の頃、N響のコンサートマスターであった海野義雄さんのソロリサイタルによく行ったものです。熟達した技術と彼の人間力が奏でる音に、私は完全に魅せられていたのです。

 また、母の幼な友だちの、当時日本を代表するソプラノ歌手中澤桂さんのオペラやソロリサイタルに、頻繁に行っておりました。当時私は中目黒に住んでいましたが、家が近かったこともあって、中澤さんはよくたずねて来られました。そんな折り、歌のお話をよくうかがっておりました。中澤さんの練習場にも出入りさせていただきましたが、その厳しさを目の当たりにして、私は脂汗を流したことを覚えています。

 その後、縁あって、日本フィルハーモニー協会合唱団に入り、合唱指揮の灰谷先生から歌の指導を受けることになりました。おかげをもって、私は日フィル協会合唱団の団員として、日比谷公会堂、東京文化会館、新宿厚生年金会館、渋谷公会堂などに、幾度も出演させていただきました。

 オケや合唱をまとめ、音を紡ぎ出すのは指揮者です。日フィル育ての親である渡邊暁雄先生は、悠揚せまらざる雰囲気の、人を温かく包み込む大きなお人柄で、先生のオケや合唱の指揮とご指導に私は深く感銘を受けました。日フィルが当代一流のオーケストラであるのは、渡邊先生のご指導による、とつくづく思ったものです。

 渡邊先生が二千人を超える客席を背景に指揮をされる姿は、今でも、はっきり覚えています。その姿は、東大の工学部一号館の教室で、窓外の木々や緑色の板(黒板)を背景に講義をされる色白の優しい松下清夫先生の姿と、よく重なりました。

○ドリーム合唱団

 紀元塾で「人間学」の講座が始まった翌年、私は事務局の吉田さんと、ドリームという合唱団を結成しました。そこで私は、渡邊先生や灰谷先生から習ったことを活かすつもりでした。

 ドリームの皆さん、おしなべて、お孫さんがいる方々です。それに、練習の場(檸檬)は、ドリームの皆さんにとって、心楽しく談笑するサロンでもあるのです。ドリームの皆さん全員が心から楽しんで練習できることが一番です。皆さんが楽しいと、私も癒されます。

 初代の伴奏を務めていただいた国立音大のピアノ科出身の渡邊先生と相談して、音楽の基礎技術の練習はほどほどにし、心を込めて、を中心にしました。これなら全員が楽しく練習に臨めます。

 このことは、さきほどのカラオケの点数を上げる話と似ています。カラオケの点数をことさら上げようとすると(音楽の技術を高めようとすると)、一般には、ついそちらに気が向いてしまって、歌に心を込めることが希薄になるのです。

 歌に限らず、音楽の本質は心から楽しく演じ、心から楽しく聴くところにあります。音楽の技術を高めると、表面的には、うまい、という印象を聴く人に与えるかもしれません。しかし、実際には、心を込めて楽しく歌う方が、よほど聴く人に感銘を与えるのです。

 それに、ドリームの皆さんは人柄がよいからでしょう。聴いていて心地よいのです。これは必ず生かさなければなりません。

○合唱の練習

 練習は次の手順によることにしました。これは、どの合唱団でも、どの曲にも適用できる普遍性ある練習法です。

 (1)まず、曲想を理解してもらう。歌の流れを知ってもらう。さびの部分を知ってもらう。

 (2)次に、呼吸で歌のエキスをつかんでもらう。(このことは、コールユーブンゲンに載っています)極端にいうと、宇宙との相互息づかいを意識し、宇宙の波動との共振を試みるのです。ドリームの場合、私が「人間学」を標榜する以上、こうしたことを取り入れないと特徴が出てきません。

 (3)そして、ある程度歌になじんだら、幾度もフレーズの練習を繰り返し、フレーズごとにインバイト(フレーズ内での演出)を試みる。

 (4)最後に、聴く人の呼吸に合わせるように間(音符と音符との間)をとる練習をする。これも「人間学」の一環です。

 呼吸のあり方は、とても重要です。このことは歌だけではありません。オーケストラの指揮でもこれが一つの基本になるようです。ヘルヴェルト・フォン・カラヤンや小澤征爾といった一流の指揮者は、呼吸のあり方をとても大切にしているといいます。これによって、音楽の神髄、そして(宇宙ともかかわる)潤いと深みを感じ取れるよう、演奏する者の心と聴く人の心を整えて繋いでいるのです。

○ドリームの場合は、より自由に

 もちろん、音楽の基礎技術を身につけることは、歌の練習の基本ではあります。ドリームでは、より高齢(失礼!)の方、初心の方も含めて全員が、楽しんで参加できるよう、音の高低や強弱、リズムなどは、可能な限り自由なテンポやリズムで対応(ルバート)することにしました。

 これは、歌に心を込める上でも、とても効果的なやり方です。

 ちなみに、世界的に有名なイヴリー・ギトリスというヴァイオリニストは、そんな弾き方は音楽の基本にないなどと指摘されるくらい、リズムを自由に(ルバート)演奏しています。高齢になってなお、彼の演奏は聴く人に大きな感銘を与えています。

 世界的に活躍している多くの指揮者をはじめ、今人気の若い指揮者トゥガン・ソヒエフも、同様に、自由なスタイルで指揮をしています。

 実際、指揮者によっては、このやり方によって格調の高さを醸し出すこともできるのです。

 さて一般に、合唱団の人たちは、一人ひとり声の質が違います。発声にも個人差があります。しかし団員の心が一つになったとき、その歌はすごいパワーを発します。

 ドリームでも、そのパワーを少しでも出せるようにするのが私の役割でした。練習のときは、幾度もフレーズを繰り返す緊張もあれば、冗談を言い合って笑うことも多く(緊張と緩和を交互に)、楽しくやらせていただきました。

 そして練習では、「夢路より」の他、斉唱の歌何曲にも、下の音をつけました。

 二代目の伴奏者栗岡先生は、私のこのやり方をとてもよく理解してくださいました。栗岡先生は、単に私のやり方をそのまま肯定するというのではなく、練習の開始時も練習中も、適宜、意見交換し、またいろいろ助言をくださいました(楽譜にはメモがたくさん書き込まれました)。

○ドリームのステージ

 ステージに立つのも練習の一環です。吉田さんや栗岡先生と相談して、ドリームは幾度か演奏会に臨みました。

 庄和町でのライブや学士会館での会が思い出されます。いずれも好評でした。昨年七月の学士会館での会では、ドリームの歌が終わったとき、聴いていた大勢の人たちが、もう終わり? と名残惜しそうにしていました。

  昨年末は、春日部のふれあいキューブでクリスマス曲と日本の名曲を歌いました。上階にいる人たちが身を乗り出すように聴いてくれていましたし、涙して聴いていた人がいたくらいでした。

 本年四月から、また渡邊先生にご指導をいただくことになりました。私は仕事の関係で、しばらくの間、合唱の練習にうかがえませんでしたが、またドリームの皆さんとお会いする日を楽しみにしております。                      (おわり)

東京講座「生きることの意味」を聴いた人たちの感想

                                         事務局より

  2月に開講した東京講座、「生きることの意味」を聴いた皆様からの感想文をいくつか

 ご紹介させていただきます。

○とても興味深い話を聴かせていただきました。深い話なので、もっと長い時間、

 お話を聴けるとうれしいです。子どもたちにも教えられるような形を知りたい。

 学校の教職員にも。

○「5対95則」とても興味深く、納得しました。ありがとうございました。

○「5対95則」、うなずけることがあります。5が輝くように、95を大切にしたいと思

 います。

○子孫に禍根を残さぬよう、最期まで、運命を切りひらく力をもたねば、と思い

 ました。

○本日は、ありがとうございました。興味深く拝聴させていただきました。うなずく

 とばかりでした。生活の中に生かすことが大切だと再確認させていただきました。

○今回で二回目ですが、お話を聴くと、その都度「あっそうか?!」と思うところがあ

 り、とても勉強になります。自身、「人間学」の見える化をはかって行きたいと思い

 ます。ありがとうございました。

○「5対95則」勉強になりました。

○普段はまったく考えることのないテーマでしたので、非情に楽しく聴かせていただ

 きました。

○一時間だと、聴き足りないような気がします。

○お忙しい中、講話をありがとうございます。また参加させていただきます。素晴ら

 しい内容ですね。今後とも宜しくお願いします。

○カルマを刈り取ることの困難さを感じて、日々過ごしています。何をどこまで行え

 ばよいのか、の物差しがありませんので悩むこともあります。今回のお話のよう

 に、それは「積極的に耐える」ことなのですね。

       NPO主催の平成29年1月からの「人間学講座」ご紹介

「アンガーマネジメント(怒りの制御)」

 先日、埼京線で高齢の男性が乗ってくるなり、優先席に座っていた若い男性に向かって「ここはジジイ、ババアの座る席だ!お前は席を譲らないとダメなんだ!どけ!かわれ!何やってんだ!早くどけ!どけって言ってんだろ!」と大声で怒鳴ってキレまくっていました。最近「キレル老人」などの文字が見受けられますが、この事だなぁと思いました。そこで「怒り」に関する話題をお届けしたいと思います。 平成25(2013)年9月に発表された『平成24年 労働者健康状況調査(厚生労働省)』において、「仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレス」の第1位は「職場の人間関係の問題」です。この統計から、多くの人は職場でイライラを抱えている状態だと言う事が分かりました。  皆さんは「アンガーマネジメント」とか「アンガーコントロール」と言う言葉をお聞きになった事はおありでしょうか? アンガーマネジメントは、1970年代にアメリカで始まったアンガー(イライラ、怒りの感情)をマネジメント(上手に付き合う)するための心理教育です。 怒りの根本には、実は様々な感情が隠されています。その感情が何か? 怒りが起こる原因は一体どこからなのか? アンガーマネジメントとは、怒りのプロセスなどを学ぶ事によって、自分自身の怒りを理解し、コントロールしたり、癒したり、ポジティブなものへ変換させたり、自分の中でたくさんの変化が生まれ、感情がさらに豊かになり、職場での問題解決や、夫婦や友人、人間関係全般、自分の周りに関係するあらゆる物事に良い循環にしていく手法です。 「怒りの6秒ルール」と言うものがあります。諸説あるのですが、怒りの感情のピークは最大でも6秒程度と言われ、怒りを感じてから「6秒間」ただ待ち続けるだけで和らげることができると言われています。「カチン」と来てから6秒以内で発する言動は感情的になってしまう事が多く、アンガーマネジメントでは、「反射的に怒らない」ということを強調しています。 「反射的に怒らない」、「売り言葉に買い言葉を言わない」ことは、「あんなことを言わなければよかった」という自己嫌悪防止につながり、そのためには「最悪の6秒間」を耐える(やり過ごす)習慣付けをしておく必要があります。 このトレーニング方法として「呼吸リラクセーション」、「ポジティブ・セルフトーク」などがあります。最近特に注目を集めているとのが「マインドフルネス」でしょう。瞑想を基本に自分自身の内面を観察し、「反射的」反応をコントロールすることが出来るようになるトレーニングです。正しい判断基準を持つ事と、自分自身の感情をコントロールすることが、これからの社会、家庭の両面において不可欠なスキルとなるでしょう。  心理学博士でノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン博士のプロスペクト理論などについて、今後ご紹介させて頂きたいと思います。

塾頭代行 徳地良行

NPO主催の平成29年1月からの「人間学講座」ご紹介

-1月のテーマ「生きるってどういうこと?」- 塾頭代行 徳地良行

 

私たちが「生きる意味」について樫野紀元塾長は、次のように言っています。抜粋してご紹介させていただきます。

(以下、樫野塾長の言より)

・人としての意識や心の働き、五感、周りにあるもの、そして“5対95則”を与えられてこの世にいる以上、これらを受け入れ、生を全うする。 その目的は、不安定な社会や個々の家庭をしっかりしたものにすること。

・「与えられた天命は人である」

・どのような立場も仕事も、その時点で与えられたもの。人それぞれに、その与えられた役割を“進化向上を図りながら”果たしていくとき、私たちの魂はとても喜ぶ。魂が喜ぶと、人は自ずと輝く。だから、この世で自分が輝くことができるものを見つけよ。

・宇宙は慈しみ(思いやり)の波動で満たされている。地球の周りはα波で覆われている。人は宇宙の一部だから、宇宙にある慈しみの波動と共振するとき、人は最高の至福感を得られる。 つまり、心から人を思いやるとき、最高の幸せを得ることができる。それを言動で現わせないときは、心から想うだけでよい。例えば、あの困っている人、救われるといいな、と心から想うだけでよい。“進化向上”を望んでいる人に対しては、その背中を押してあげるだけでよい。

・こうしたことを実践する姿を他に示すことが生きることの意味。

・そして、子孫に禍根を残さないことも使命。自分がつくってしまったカルマは自分で刈り取る。親や祖先がつくったカルマを自分が刈り取る。それによって、子孫に禍根が残らない。これが、この世で生きる意味。

○これらの詳細をお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」をお読みください。 Amazonでも高い評価を頂いております。

また、講座は、毎月第二日曜日、午後1時30分から約1時間、春日部ふれあいキューブ(県の施設)会議室で開講しております。

(参加費‐一般の方は1000円。当NPOの会員の方は800円)

(講座のお問い合わせ、ならびに「生を尽くす」のご注文は、檸檬・吉田美代子 048-733-0713まで)

 

「ビジネス人間学」講座のご案内

平成29年2月5日(日)学士会館にて開催

テーマ:生きるってどういうこと?

全4回シリーズで開催されるビジネスに役立つ考え方満載です!

各回のテーマなど詳しくは活動案内でご確認下さい。

平成29年講座案内

平成29年の講座案内を更新いたしました!

詳しくは活動案内をご覧下さい!

「5対95則」にもとづく「人間学講座」としてスタート致します。

多くの方の参加をお待ちしております。

新年のご挨拶

2017.1.1 新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い申しあげます。

ぽぽら会館4周年記念イベント-「論語ライブ」公演

 ふれあいキューブ-ぽぽらの会館4周年記念イベントで、先の庄和町での公演に続き、再び「論語ライブ」を公演しました。併せて、ぽぽらカフェも開店しました。

 樫野先生から「『論語』は誰もが本当は当たり前と心の中で思っていることを、わかりやすい言葉で表したものです。『論語』を聞くことによって、自分が思っていることは間違っていないことがわかって安心するのです」というお話がありました。

 ライブでは、わんわん村の小学生ピーワンちゃんが、日々の冒険の中で生きていく上で大切なことを学ぶ、樫野先生の作「ピーワンちゃんの寺子屋」から5話をピックアップして朗読し、それぞれの話に関連する「論語」の解説と合唱がありました。ほのぼのとしたお話と歌で、参加の皆様は、とても癒されたようでした。(事務局)

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平成27年の「人間学」講座-修了証

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これまで、紀元塾が主宰する「人間学」の講座は、

・「新論語」

・「ラーニング&リバース」

・「古事記に学ぶ人間学」

・「人生相談&今日の日本が抱える問題」

・「論語教室」

などが開講されました。参加者は延べ1200を超えます。

 平成27年は「古今東西の偉人の言葉に学ぶ人間学」でした。この講座(全12回)に休むことなく出席された方、お二人が、平成27年12月6日に修了証を受けられました。    

樫野先生の新刊案内

「生を尽くす」 ―古事記に学ぶ神秘の法則―   [悠雲舎]

 

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〇 古代の人は、宇宙の仕組みや法則を、既に知っていました。このことは「古事記」に示されています。 えっ、「古事記」? 天照大神や大国主命が活躍する「古事記」に、そんなことが?

実は、「古事記」で語られている、やまと言葉の真意を探ると、このことがよくわかります。さらに、そこに示されている宇宙の法則をもとに「人間学」の基本が導かれるのです。本書によって、この世はこうつくられている、人はこうつくられている、私たちにどのような力が与えられているか、そして「生を尽くす」とはどのようなことか、をしっかりつかむことができます。何よりも、「古事記」の真意がわかり、新たな発見も生まれる書。

         【目次】

Ⅰ これが本当の「古事記」の世界だ!

―1300年を経て、ようやく明らかになった「古事記」の真実

「古代の人が語るビックバン」「日本は海底火山の噴火によってつくられた」「宇宙の気」他

Ⅱ そもそも「古事記」は、こうして作られた        

Ⅲ 「古事記」でわかる、こんなこと

Ⅳ 人生に活かす「古事記」 -「生を尽くす」7つの知恵―        

四六判 並製  164ページ  定価:(1,250円+税)

【著者紹介】 樫野 紀元(かしの のりもと)  『「人間学」研究家 建築社会学者 工学博士 1級建築士 』 1974年、東京大学大学院卒。建設省入省(上級職・研究職)建設経済研究室長、研究部長 を経て、公立前橋工科大学大学院教授(2001~20011年)。現在、NPO法人「ミレニアム教育・環境研究普及協会(MEE・紀元塾)」代表。

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春日部市、新市政10周年記念イベントで、「論語」ライブを公演しました

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 庄和町が春日部市に合併して10年経ちました。これを記念するイベントが南桜井の正風館で開催され、NPO法人「MEE・紀元塾」は、「論語」ライブを公演しました。

 

 

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「論語」ライブは、樫野先生の著作「ピーワンちゃんの寺子屋」をもとに構成されてい ます。この本は、きれいな日本語の響きによって心地よく読め、読んだ後で、“よし、自分も頑張ろう”という気分にさせる「魔法の本」と言われています。以 前、朝日新聞の全国版でも取り上げられました。こども向けの本ですが、大人が読んでもとても面白いお話が14話、入っています。

 

 

 今回のライブでは、その14話の中から5話を取り上げて朗読し、関連する「論語」を紹介し、皆で素読しました。また、それぞれのお話に関連する歌を、春日部の女性コーラス「ドリーム」が唱いました。参加した小学生と保護者の皆様も一緒に歌いました。

朗読にはピアノのバックグラウンドがつき、歌のときは、ピアノの伴奏にヴァイオリンの演奏も加わりました。

 午後のひとときを、とても心豊かに過ごすことができたライブでした。

 

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(事務局)

 

 

松尾芭蕉の話

「樫野先生、松尾芭蕉を語る」

 

 春日部の400年の歴史ある小淵観音院で、円空仏7体が御開帳され、ゴールデンウイークの期間中、お天気にも恵まれて、多くの人が参詣されました。

荒削りですが、円空の「気」が籠っているためでしょう、高さ2メートル近い「観音立像」からは、大きなエネルギーが迸っているように感じられました。(次回の御開帳は11年後です) 

 さて、5月4日、その観音院境内で、この「円空祭」イベントの一環として、「樫野紀元の人間学講座」がありました。今回は松尾芭蕉でした。

いつもながらの先生独特の語り口で、松尾芭蕉の人となりや、俳人として世に残したもの、などについて、お話がありました。

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       [人間学の青空講座のもよう]    [観音院の山門(仁王門)]

 

 

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[観音院にある芭蕉の句碑(「もの言えば唇寒し秋の風」]

1.芭蕉って、どこの人? いつ頃の人?

 芭蕉は、1644年(寛永21年)、今の三重県、伊賀上野で生まれました。伊賀上野は、芭蕉が生まれる10年前、荒木又右エ門による「伊賀越えの仇討」があったところです。同じ年、曲垣平九郎が江戸愛宕山の石段を馬で駆け上がっています。伊賀上野は、築城術日本一と称された藤堂高虎が藩主でした。

 

2.どうして俳人になったの?

芭蕉を俳句の世界に導いたのは、芭蕉が18歳のときから料理番として仕えた藤堂良忠でした。藤堂良忠は京都の俳諧師北村季吟に師事していました。北村季吟は、俳諧の方式のもとをつくった松永貞徳に学んだ人です。

藤堂家は代々、才がある人を登用し、好きなことをやれ、が家風でした。その伝統を継いだ良忠が、一介の料理人である芭蕉の才能を見出し、北村季吟のもとに連れていったのです。季吟の指導のもと、芭蕉はめきめき腕を上げました。

 

3.いつ江戸に出てきた?

芭蕉が30歳のとき、師匠の北村季吟から俳諧作法書(「俳諧埋木」)を伝授されました。いうならば免許皆伝です。江戸は情報発信の中心地でした。ならば、一つ中央でやってみよう、思い立ったら即実行です。上昇志向を持って、芭蕉は江戸にやってきました。

芭蕉の江戸での生活は日本橋で始まりました。とはいえ、最初から俳諧で身を立てることはできません。水道工事(神田川の分水工事)に携わって生計を立てながら、胸の中では、俳諧で世に出ることを想っていたようです。

 何しろ、ときの宗匠、北川季吟から卒業証書をもらっています。江戸の俳人たちとの交流が始まりました。江戸俳壇の後見人である磐城平藩主が主宰する会にも顔を出すようになりました。

 そして、34歳のとき、桃青と名乗って念願の俳諧師、宗匠になりました。桃は邪気を排するとされる果実であり、青は純粋を表す字です。芭蕉は桃青という俳号で、自分は純粋に素直に行きますよ、という姿勢を示したのです。そして、36歳のとき日本橋から深川に移りました。深川の住居は、後に芭蕉庵と言われました。

 

4.どんな生き方を望んだ?

芭蕉は3代将軍家光の御世に生まれ、6歳のとき4代将軍家綱、36歳のとき5代将軍綱吉という、儒教を国の津々浦々まで広めつつある時代に生きた人でした。

芭蕉が13歳のとき、朱子学が、国の教育の中心に置かれました。秩序、調和、進化、礼、信をいつも考え、仁を大切に生きる。それが朱子学の基本的な教えでした。

また、朱子学では「人は天地と併存する」としていました。天にならって生きることこそ、人は本然を発揮でき、安らぎが得られる。自然の中で生きることこそが第一。芭蕉は、わび住まいの芭蕉庵も旅の笠も同じ、笠は最小の庵である、と考えたといいます。そして旅の中に身を置きたい、と想っていたようです。

この生き方が純粋な詩としての「蕉風」をもたらしたのです。

 

5.どんな俳句を作った?

 その頃江戸では、軽い口調で滑稽味を出す談林風といわれる句が流行していました。しかし芭蕉は、そんな流行にとらわれることなく、北村季吟やその師匠貞徳が大切にした伝統的な漢詩調、そしてそれを発展させた破調を活かした独自の吟調をつくっていきました。

そして、ごく身近な日常の題材を、趣向、作意を加えず、素直に表す詩句をつくるようになりました。伝統的なものを平易な言葉で伝えながら日常の情景をたんたんと詠むという句風をつくっていったのです。これは「蕉風」と言われました。

「行く春や鳥なき魚の目はなみだ」「春なれや名もなき山の薄霞」

「枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮れ」「秋深き隣は何をする人ぞ」

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

 芭蕉は、門人が談林風など「蕉風」とは異なる俳句を作っても、特に意見を言わず、容認した、といいます。藤堂家の環境にいたことが影響しているのかもしれませんね。

 

6.どこへ旅した?

 芭蕉は生涯で四回、旅に出ています。四回とも、故郷の伊賀に帰っています。

40歳のとき「野ざらし紀行」と言われる旅に出ました。江戸、伊賀、大和、吉野、また伊賀、そして木曽、江戸という旅程でした。旅で見聞きしたものを素直に詠んでいます。「野ざらしを心に風のしむ身かな」 有名な、「古池や蛙とびこむ水の音」は、実は旅から戻って、江戸で詠んだ句です。静寂を際立たせる手法を考えていたようです。

 43歳のとき「笈(おい)の小文」の旅に出ました。笈は仏具や衣類、食器などを入れた、修験者たちが旅のとき、背負った箱です。このときは、お伊勢参りが主でした。故郷の伊賀にも寄っています。

 45歳のとき、「奥の細道」の旅に出ました。約2400キロの旅でした。    江戸、下野、陸奥、出羽、越後、加賀、越前、伊勢、伊賀、京都、江戸という旅程で、45歳ででかけ46歳で戻っています。多くの門人ができた旅でもありました。

「夏草やつわものどもが夢のあと」「しずかさや岩にしみいる蝉の声」

「五月雨を集めて早し最上川」「荒海や佐渡によこたう天の川」

 そして50歳のとき、伊賀、奈良、大坂への旅に出ました。芭蕉は大坂で体調をくずし、死去しました。「旅に病んで夢は枯野をかけまわる」

 

7.俳句を通して、何を残した?

芭蕉が俳句を通して残したものは、「純粋な詩の精神」でした。

いつも自然体で、難しいものをわかりやすく説く、「松のことは松に習え!」それが芭蕉の基本的なスタンスであったと思います。

(事務局)

 

○なお、当日ご参加をいただいた、俳人、嶋青桜さんによる、観音院に関する俳句をご紹介いたします。

「青葉風眼も掌も落としなほ仁王」(嶋青桜)

「円空の七仏たてる若葉かな」(嶋青桜)

 

樫野紀元の「人間学講座」の感想

樫野紀元の「人間学講座」第3回のソクラテス、第4回のゲーテ、それぞれの講義の感想の一部をご紹介します。

 

「ソクラテス」

○話がまとまっていて、とてもおもしろかった。

○ 話が、とても深くて、よかった。

○ 「偉人、聖人の言葉の根っこは同じ」に感銘をうけました。

○ ソクラテスについて、勉強しようと思った。

 

「ゲーテ」

○LOVEの語源が、わかりました。どんなものにも存在する意義がある、と言う言葉が印象にのこりました。

○万宗同根、オキシトシン、人の目的は生きること、を解説してもらい、前を向いて生きて行こうと思えた。背中を押してもらいました。

○自然の偉大さに心を打たれることが多くあります。その時は、純粋に感じているからだと言うことを知りました。

○ゲーテの活力の源について知り、その人柄がわかったような気がする。

○ゲーテという名前だけは勿論しっていたが、人生を通して、一生恋愛をしてきたことが面白く、自然の摂理を学んだ。

樫野紀元の「人間学講座」の感想

樫野紀元の「人間学講座」全12回がスタートしました。第1回は一休さん、第2回は、吉田松陰でした。それぞれの講義の感想の一部をご紹介します。

 

「一休さん」

先生の講義で一休さんの本当の姿がわかりました。

一休さんの名前のいわれは、ウロ路(煩悩がある心)からムロ路(煩悩が無い心)への一休みからきている、という話を聞いておもしろかったです。

哲学というのは、むずかしいというのが通り相場だと思っていましたが、今日の講義で「人間学」にとても興味をもちました。

 

「吉田松陰」

松陰の第一の憂いは、“国が良くない状態になっていることを国民が知らないこと。”それは、まるで現在の日本にそのまま通じると思いました。

松陰の人間関係、背景がわかり良かったです。

奥の深い話でした。もっと聴きたかった。講義の時間、もう少し長い方がいい?

激動の時代を生きた松陰の短い人生。 多くの人に影響を与えたのですね。

 

 

毎回の講義に、樫野先生の情熱を感じます。以上、2回目までの感想例でした。

 

ところで、2回目の吉田松陰の講義の前に、「人間学」とは何か?という問いかけに答えて下さった先生の答えは「心地良い環境をつくることの学び」ということでした。えっ、それが樫野流「人間学」!先生の回答の意外性に皆さんびっくりした様子でした。

「人間学」の熱い講義、楽しみです。

(吉田美代子)

ポポラ春日部オープン3周年記念イベント  NPO「MEE・紀元塾」講演会

ポポラ春日部オープン3周年記念イベントの一環として、NPO主催の講演会が開催されました。以下は、その梗概です。

「愛ってなんだ? 本当の愛って何?」

-偉人・聖人の言葉に学ぶ-

樫野紀元

 

愛という言葉から何を連想しますか? 

まずは、愛という言葉がどのように使われるかみてみましょう。 

親兄弟の愛(子への愛、家族愛)、男女の愛、隣人愛(貧しい者や弱者への愛)、帰属するところへの愛(会社、学校、故郷、町、国)、仕事に対する愛、師弟愛、友人愛、好きなことに対する愛(趣味、嗜好品)、「気」が入っているものに対する愛(職人技)、伝統に対する愛(城郭、寺院建築、浮世絵、刀剣、伝統工芸)、そして動物や自然に対する愛……。

素敵なものや可愛いものを、愛する対象にする場合もあります。

 さまざまに、愛という言葉が使われますが、実は、「世話をする、思いやり」が愛という言葉の本質なのです。これは、英語のloveの原意でもあります。その愛によって、自分も周りも、とても心地よくなります。

関連しますが、美という言葉は愛に通じる言葉です。美は心地よいと感じるもの、を言います。心地よく晴れた日は、英語でbeautiful(美しい)と言います。

 ギリシャの哲学者、プラトン(前427~前347)は、「神々の間では、愛、美しいものへのエロス(思慕の情―恋)がもとになり、その上に万事が整えられ、秩序立てられている。何故なら、醜いものへのエロスはあり得ないのだから」と言っています。愛がすべてのもとになっている、と言っているのですね。

 エジプト生まれのギリシャ系哲学者、プロティノス(205頃~270頃)は、「人の究極の目的は美であり、それは愛のみなもとである神とのエクスタシス(秘合)によってもたらされる」としました。自分の精神が、物質志向ではなく、非物質である神様(愛)の精神と一致することが、内面から輝き、美しく生きるもと、と説いているのです。

「物質志向ではなく、よい精神を持つことを大切にする」。これは、かつての日本人の価値観でもありました。 

 人は愛を実践するとき、オキシトシンなどのホルモンが分泌されます。それらのホルモンは、免疫力を高め、若返りと長寿のもとになるそうです。

本当の愛によって、人生はとても充実し潤うのです。