ホーム>コラム
  • ホーム
  • 活動案内
  • コラム
  • 機関誌
  • 代表紹介
  • 法人概要
  • お問い合わせ

コラム

これからの教育

7月11日の大宮教室では、ルソーの教育論がテーマでした。

ルソーが言うように「民主政治が正しく行われるためには、主権者であるすべての人が正義を心得、また真実を見抜く知恵を備えていることが必要であり、子どもの頃から、そのための教育が不可欠」です。

日本の義務教育では、こうした視点からの教育は行われていません。

これからの日本の教育は、次の3点を重視すべきと思われます。

1.日本民族の歴史と文化を正しく学ぶ

2.本物を観る目を養う。

 特にマスコミの情報は偏向していないか、政治にたずさわる者は大局をみているか、人そのものは誠実で信頼できるか、そして世論の真偽を見極めることができるようになることが望まれます。

3.自立とは何かを教える。

 

2018416182149.jpg

 

 

 

「コロナ禍があぶり出したもの」(5)日本の地位のさらなる低下(シリーズ最終回)

「コロナ禍があぶり出したもの」 皆様、是非お考えください。

(5)日本の地位のさらなる低下(このシリーズの最終回)

今の日本、経済力は、GDPが世界の24位、時価総額上位35社の下の方にトヨタ1社がかろうじて入っているという程度です。(かつてGDPは世界の2位、時価総額上位10社の約半分は日本の企業が占めていました) またGDPに占める教育への公的支出は35位、自由度は64位、寛容さは92位、そして幸福度は62位です。何という体たらくでしょう。日本の地位は今や先進国の中で最下位に位置付けられているくらいです。これは、潜在力ある本来の日本の姿ではありません。

コロナ禍のずっと以前から、日本はかなりピンチなのです。今の日本は、ピンチをチャンスにするどころか、コロナ禍の対応で、日本の評価をさらに低下させているようなのです。日本はピンチをさらにピンチにしていると言えるでしょう。

2月上旬、クルーズ船内で新型コロナウイルスの感染が広がりました。日本の担当者はいろいろな対策を講じたようですが、海外(特にアメリカ)では、船内で感染有無の検査も十分行われず、感染の防止策も十分ではない、日本の対応はよろしくないと大きく報じられました。

さて、日本での永住者や定住者(外国人労働者であることが多い)は特段の事情があるという理由で、外国人の入国が許可されています(入国する人の国籍はわかりません。このことについては法務省のHPをご参照ください)。入国する外国人は、感染の有無の検査はしているのでしょうが、その結果が出るまでなかなか指定のところにいてくれない、などの問題もあるとか。こうした状況では、新型コロナウイルスの感染の危険はおさまることがないのではないでしょうか。関連する情報は一切出されません。

感染有無の検査がなかなか受けられず、症状が出ていても何日も自宅待機を余儀なくされることや、感染者の数が他の国に比べると驚くほど少なく、感染の実体がつかめない(人口100万人当たりドイツは2万件以上、アメリカは1,1万人に対して日本は約900件)こと、そして検査ができなかったために早期治療がなされず病状が急速に進んで命を落とした方が何人もいること、などが海外で批判的に報じられています。

感染の実体(感染率)を把握することによって、感染の拡大を防ぎ、経済活動の再開をはじめ、しかるべき対策をより早く講じることができると思われます。統計的手法を用いることによって、感染の実体(感染率)を求めることは可能なのです。そのための検査の数を検討しては如何でしょうか(これは病床数や医療従事者数が少ないことを超えた問題)。また感染者の中に外国籍の人が何人いるか、といった情報は出てきません。報じられることもありません。

ここ一番、外出自粛を徹底し、日本の底力を見せましょう! 政治や行政の責任者の皆さん、真摯に国民と一体になって、日本の地位が下げ止まるようにいたしましょう。(2020年4月27日 樫野紀元)

2018416182042.jpg

 

 

 

 

「コロナ禍があぶり出したもの」(4)テレビ番組への違和感

「コロナ禍があぶり出したもの」 皆様、ご一緒に考えてみませんか?

(4)テレビ番組への違和感

コロナ禍で外出を自粛して家にいる時間が増え、テレビを観る時間が増えています。そして、テレビの番組に大きな違和感を持つ人が増えています。

どのテレビ局も(教養番組を除いて)、朝から晩まで、健康、料理、バラエティ、芸能人ゴシップといった番組のオンパレードです。洗練された古典芸能、音楽番組、よくできたミステリードラマや気合が入ったドキュメンタリィ番組、そしてスポーツ番組はあるものの、バラエティ番組の多くは、本来の娯楽というよりも、ただ出演者が大騒ぎするだけ、そして彼らの自己満足を視聴者に見せつけているだけという感があります。おまけにその内容はどの局もほぼ同じなのです。出演者もほぼ同じで、どの局も同じ会社に外注しているのでは、と思われるくらいです。

時事の報道では、コメンテイターが建設的な政府の政策批判ではなく、対案なく単に政府を批判するコメントを出したり、ただただ反日、左翼的な方向に視聴者を導いていると思われても仕方ないようなコメントを出す例が多いようです。報道が偏向した内容になっている例がとても多いのです。いろいろな意見を言い合う方が、観ている方は参考になるのですが、そうしたコメンテイターに反対の意見を持っている人はほとんど出演しません。

人は、たまには、おちゃらけた番組を気晴らしで観ることはあるでしょう。しかし奥底では、心を打たれ感銘を受ける名画(古今東西の良い映画、なつかしい映画など)や苦しみを乗り越えて何かを成し遂げた人の話などをもっと観たいと思っています。コロナ禍で家にいる時間が長くなっているのに、こうした番組はあまり放送されません。テレビ番組への違和感の大きな原因は、こうしたところにあるようです。

テレビの番組ではあきたらないのでしょう、ネット配信の番組を観たり、DVDをレンタルする店に、普段よりも多くの人が行くようになっています。その店では来客が大幅に増えたため、感染の機会が増えています。

今、スポンサーの”広告シフト”が進んでいます。2019年度、スポンサーの広告料は、テレビに約1兆8000億円、ネットには2兆1000億円とのことです。人々の娯楽や情報源としてユーチューブやフェイスブックをはじめネットが隆盛になっているようです。個人が情報を得るだけでなく情報を発信できるネットがテレビに取って代わりつつあるのです。

スポンサーのテレビ離れは、番組が面白くないからでしょうか? あるいは、ある種の偏向報道に嫌悪感を持つからでしょうか? 人々の満足感が高い、よい番組を放送しないと、結局は視聴する人が減じ、スポンサーがつかなくなり、自分たちが損をするのです。このことが、コロナ禍で、あらためてあぶり出されています。(2020年4月26日 樫野紀元)

2018416182132.jpg

「コロナ禍があぶり出したもの」(3)美質を表す日本人が減ったこと

「コロナ禍があぶり出したもの」 皆様、ご一緒に考えてみませんか。

(3)美質を表す日本人が減ったこと

もともと日本人は、和を大切にし、思いやりと利他の心があり、秩序と調和を大切にする心、そして高い学習能力と創意工夫する力堪え忍ぶ心を持っています。大震災の復興時、粛々と秩序を守って頑張った日本人は海外でも報じられ絶賛されました。こうした美質は、縄文時代から培われたもので、民族としての特徴でもあります。

海外のようにロックダウンせずとも感染防止のために外出を自粛し、コロナ禍を取り除くためにひたすら尽力する、これが日本人の美質の見せどころなのです。

ところが、今回のコロナ禍によって、もともと奥底に持っている美質を表す日本人が減り、自分勝手な日本人が増えていることが明らかになりました。緊急事態宣言が出され、外出自粛の要請が出されているにもかかわらず、感染機会が増えることが明らかなのに、観光地や景勝地に出かけ、遊戯施設に出かけ、居酒屋その他に出かける人がたくさんいるのです。ライブに行った中高年の人もいました。イベントを開催した人もいました。海外渡航を制限している中、感染者が多い欧州の国に出かけた人たちがいました。海外で感染して帰国し、電車やバスに乗って帰宅した人もいました。

子どもたちは、こうした大人たちの映像を見て、”外出してはいけないのにね”、と言っています。その人たちは、子どもたちにこのように言われて、恥ずかしくないのでしょうか?!

如何でしょう? この人たちは、新型コロナウイルスの感染防止よりも、自己満足を優先しているのです。3月下旬の連休で花見に出かけた人たちを取り上げ、フランスや香港のメディアは「警告にもかかわらず花見をする日本人」と報じました。海外の人たちの、日本人はまじめで規律正しいというイメージは、このところ大きく損なわれています。3月下旬の連休であちこちに出かけた人が多かったためでしょうか、4月上旬の感染者数が激増しています。

もちろん、多くの日本人は外出自粛要請を真摯に受け止めて家にいます。テレワーク(遠隔ワーク)を導入する会社も多いです。学校ではオンライン授業を進めたり、工夫して学習カードを作ったりして勉強を進めています。会社や商店が休業して仕事が無い人が農家の手伝いに行く例もあります。スーパーやデパートでは、レジできちんと間隔を空けて並んでいます。いろいろな団体などを通して、医療用エアテントや医療支援物資を提供する人たちも多いです。

多くの日本人はこのように、もともと持っている美質を表しているのですが、かなりの割合で自己満足を優先する人がいることが問題なのです。従前、日本人は他を慮(おもんばか)って自分勝手ではありませんでした。少しの人が、何万人もの感染者を生じさせることを忘れてはならないのです。

一人ひとりが短い期間、気をつけることによって、コロナ禍はおさまるのです。コロナ禍がおさまれば、いつでも観光地や居酒屋に行けるのです。何より、元気になって経済活動を再開できるのです。自己満足を優先する人がいると、いつまでたってもコロナ禍はおさまりません。楽しみも、活動も、ずっと後になってしまうのです。医療を崩壊させないためにも、一人ひとりが、他に感染させない責任を持たなければなりません。

コロナ禍に打ち勝つのは、結局は、国民一人ひとりの意識と行動にかかっているのです! 

今世紀に入ってすぐ、日本の多くの会社は新市場主義を是とし、会社は社会のためにあるという大原則を忘れ、大企業も自社の利益を最優先にするようになりました。その後、約40年、多くの会社は今もこの路線に沿っています。こうしたあり方が、もともと持っている美質を表さず自己の利益中心の日本人を増やすことに繋がっていることは否めません。

本当の利益は信用をもとにもたらされるものです。バブル崩壊の時、目先の利益にとらわれず、じっくり構えて自社の持ち味を発揮した会社は信用があるため立派に生き残り、成長しています。もともと持っている美質を表す日本人が経営する会社は安泰なのです。社会性が欠落し自己満足を優先する人は、人からの評価は低く、信用されません。自己中心の人は自ら大事な人生をスポイルしているのです。(樫野紀元)

2018416182113.jpg

 

 

 

 

「コロナ禍があぶり出したもの」(2)リーダーの力量

「コロナ禍があぶり出したもの」 皆様、いろいろお考えいただけましたら幸いです。

(2)リーダーの力量

良いリーダー像については、このコラム欄に掲載させていただいた「だから私はこう生きる」シリーズ(14)で、お話しいたしました。(このコラム欄をさかのぼっていただくと、その記事は見つかります)

抽象的な言い方になりますが、国や自治体のリーダーの力量は、そのリーダーが、①現状をよく把握し、純に身体をはってコロナ禍と向きあっているか、②人々を心から思いやり、寄りそっているか、③情報を偽らずに開示し、よいアイデアは取り込み、対策を立てて自身の言葉で語っているか、の三点で観ることができるでしょう。

はからずも、コロナ禍で、国や自治体のリーダーの姿があぶり出されました。

国民は、国や自治体のリーダーを、自分たちを守ってくれる存在とみています。早期にコロナ禍をとり除かなければならない時なのに、こんなことを言うと人から批判される、この施策は異を唱えられる、などと及び腰になっているリーダーや、周りの声に左右されるようなリーダーがいます。このようなリーダーは、とても力量があるとは言えません。

リーダーは、国民をコロナ禍から守る、という強い思いを持っていないことには話になりません。そしてよく学習することが求められます。よく知っているリーダー、あるいは幹になることをズバッと指摘するリーダーに、人は畏敬の念をもつものです。あるリーダーの例ですが、テレビに写ってもまるで他人事のような話しぶりです。その自治体の県民は元気を失っています。

稀にみる非常時なのです。部下を動かせないリーダー、人々を導けない無責任で頼りないリーダーでは、嵐の海を行く船長不在の船に乗っているようで、人々は不安が嵩じるばかりです。

医療体制との関係もあるとは言え、軽症の人でも医師や看護師が24時間体制で面倒を見てくれる施設が確保されていない、感染の有無を検査する体制が十分ではないなど、現状を憂うリーダーがいます。そのリーダーは、できない理由を探しているのです。リーダーはできることを探す、あるいは、できることをつくり出さなければなりません。

国や自治体のリーダーは、病床が足りなかったらホテルや研修施設を使う、そういう施設は法的位置づけが病院とは異なる(療養者として扱われる)ので医療が十分に行えなかったらそれを改める、検査体制が不十分であったら24時間稼働できるPCR自動検査器(国産、スイス製)を使う(人手をかけずに一日に7万人分の検査ができるとのこと)ようにする(国はその検査器の使用を許可する)、あるいは40分ほどで検査結果がわかる蛍光ランプ方式(国産)を使う、など果敢に実行しては!  感染者の数を把握することこそが、感染拡大を防ぎ、的確な対策を講じてコロナ禍を解消するもとになるのです。早期に外出自粛を解消して経済活動を再開できるのです。そして新型コロナウイルスを抑える効果が明らかにされている、既に(他の病気に使う)日本で認証されている薬をさっさと使う、などを迅速に実行しては! 

国のリーダーにせよ、自治体のリーダーにせよ、また官僚にせよ、緊急事態宣言は出されたものの、具体の方策を導入する段になって、やれ現行法がどうの、認可の手順がどうの、自分の面子がどうの、などと言って手をこまねいているようでは、当事者能力が無いと言われても仕方がありません。 

責任ある地位にいる国や自治体の人たちは、今まさに、とんでもないくらいの非常時であることを認識していないのでは? と思う人はとても多いのです。国民は、感染した人に弁当を無償で配ったり、自分たちができる範囲で、どんどん助け合いをしているのです。

施策が後手になっても、今更仕方がありません。誤った施策を出していたら直ちにそれを改め、遅きに失していると言われても、何と言われても、とにかく感染の拡大を抑えて人々が安堵できるよう、早期に自粛解除して経済活動を再開できるよう、今からでいいのです、国や自治体のリーダーは、自分自身が表に出て、どんどん発信し、しかるべき対策を実践してもらいたいものです。リーダーがやれ、と言えば皆動くのです。身体をはって、先頭に立ってやらないようでは、リーダー失格です! (2020年4月24日 樫野紀元)

2018319154430.jpgのサムネイル画像

「コロナ禍があぶり出したもの」(1)一つの国への依存度が高いことの弊害

「コロナ禍があぶり出したもの」 皆様、いろいろお考えいただけましたら幸いです。

(1)一つの国への依存度が高いことの弊害

これまで、あまりにアジアのある一国にモノの製造を依存してきたことの弊害が、今回のコロナ禍で、あらためて明らかになりました。これまで、住宅、自動車、家電、衣類、ゲーム機、医療機器類や医療用具、マスクや薬品、その他、日本のほとんどあらゆるモノの部品やモノそのものをある国に発注あるいは日本の会社がその国に工場をつくって生産していました。

コロナ禍を避ける上でマスクは必需品です。特に医療用マスクは不可欠です。医療用マスクが無いと感染検査も治療もできないのです。そして国民は感染を防止するために一般用マスクを常備している必要があります。

しかし日本では今、何億枚ものマスクを供給することはできません。聞くところによると、一般用マスクも医療用マスクも、必要な原材料やマスクを作る機器類もその一国に集中している(その国が買占めている)とのことです。これが日本国内で医療用マスクや普通のマスクが足りないことの大きな原因になっているのかもしれません。(数は少ないですが、国産の品質がよい一般用マスクは売られています) 

話は変わります。戦国時代、駿河と尾張の国境で日常的に何度も小ぜり合いがあった時のことです。その幾度もの小ぜり合いで、駿河の今川義元は傭兵を雇って尾張と戦わせていました。そうしているうちに、今川の傭兵は戦(いくさ)のノウハウを学びましたが、今川の本隊は休んでいて戦をあまり学びませんでした。このためもあったのでしょう、桶狭間の戦いで今川の本隊は織田信長にあっけなく敗れてしまいました。今川義元は、小ぜり合いで自軍の損失を避け(目先の利を選択して)自軍の実力をつけていなかったために、いざ大事な戦で自らが滅んでしまったのです。

広く語られていることですが、日本の多くの製造業がコスト削減や利便性を求めて(目先の利益を優先して)、外国に発注し続け、あるいは外国に工場をつくってモノを生産し続けた結果、新幹線や電子機器の技術その他、日本の多くの優れた技術が外国に移転し、また大量の資金もその国に渡りました。

日本の多くの企業が本格的に大規模に、外国に大量にモノを発注あるいは工場を造って現地生産するようになったのは、今世紀に入る頃から、政府と財界が主導して進めた新自由主義、そしてグローバリゼーションに乗り遅れたくない、という意識が働いたからと言われています。約40年前、欧米の国々は人件費が安いその国を世界の工場にすることを考え、また巨大な新市場になり得るとも考えていたのです。こうしたことが、日本の一国への依存を高める要因になったのでしょう。

マスクの一件からも、その一国への依存度が高かったことの弊害が、あらためてよくわかります。

いずれにしても、日本は今川義元に大いに学ぶべきであったのです。(ちなみに2020年3月、政府はその一国ではなく、広く他の国々に発注あるいは生産の拠点移動する際は、その支援をすることにしています)(樫野紀元)

2018416182132.jpg

 

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(20)願いが叶う祈りのマナー(シリーズ最終回)

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(20)願が叶う祈りのマナー(このシリーズ最終回)

皆さんは、神社や教会、お寺にお詣りする時、何を祈りますか? 学業や事業の成就? 健康? 恋愛? 何を祈るにせよ、神様や仏様には、まずは、今、無事に生きていることを感謝し、自分の至らなさをあやまり、次に、世界の平和と皆の幸せを祈り、最後に自分の成功や健康を祈ります。

感謝し、あやまることによって、また皆の幸せを祈ることによって、神様や仏様は必ずこちらを向いてくれます。神様や仏様がこちらを向いてくれている時、自分の願いを伝える、これが願いが叶う祈りのマナーなのです。

多くの人は、神社や教会、お寺でお詣りする時、神様や仏様の前で、自分の願いごとだけを祈るようです。これは間違いです。神様や仏様は自分勝手な人を好みません。あくまでも、自分の願いは、二の次、三の次にすることです。(樫野紀元)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(19)善いことを思うと長生きする?!

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(19)善いことを思うと長生きする?!

宇宙にある「意識のクラウド」には、愛や思いやりなど善の心(意識)と、卑怯、狡猾、虚言など悪の心(意識)が貯蔵されています。私たちの心の中にも、善い心と悪い心の両方が入っています。「だから私はこう思う」シリーズの(1)と(2)で、徳は宇宙にある、心で思うだけで親孝行になる、とお話ししました。徳や親を思う心(意識)のおおもとは、宇宙の「意識のクラウド」中にあるのです。私たちが善を思うと、それは宇宙にある「意識のクラウド」の善の部分と共振します。「意識のクラウド」にある心の働きとの共振によって、思っていることは実現するのです。悪を思うと、その悪の部分と共振し、悪が実現します。

ところで、愛や思いやりの心を表すと、オキシトシンというホルモンがたくさん分泌するそうです。オキシトシンは恐怖や不安、ストレスを減らし、免疫力を高めます。それで、若返りのホルモンとも言われています。善いことを思うと、長生きするのです。一方、悪を思うと、コルチゾールやテストステロンというホルモンがたくさん分泌するそうです。これらのホルモンは過剰に分泌すると、ストレスが多くたまって、体内に大量の活性酸素が発生し、がんなどの大病や老化のもとになるといいます。

心(意識)の持ち方は、その人の人生を心身ともに左右するのです。(樫野紀元)

2018319154439.jpg

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(18)大きなことを成すには、小さなことからクリアする

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(18)大きなことを成すには、小さなことからクリアする

これは大変そう、と思う面倒なことは、分解すると、小さな困難の集合であることが多いのです。その小さな困難を順に処理していくと、時間はかかりますが、いつか、面倒なことはクリアできます。同じように、とても大きなこともクリアできます。

面倒なことに取り掛かっていると、その過程で、失敗することが多々あります。しかし、何回も失敗して、成功するのです。失敗は学びのもと、発見のもとです。失敗しないのが失敗なのです。小さなことを堪え忍ばないようでは、大きなことを進めることはできません。

坂道はゆっくり上がればいいのです。疲れたら休めばいいのです。小さなことなら早く処理しなければ、などと思うと、自分を縛ってしまいます。ごく普通に、気楽に進む、これです! (樫野紀元)

2018319154448.jpg

 

「だから私はこう生きる」(17)誰もがパワフルな武器を持っている!

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(17)誰もがパワフルな武器を持っている!

この世では、思い通りにならないことがたくさんあります。勤勉が必ずしも報われるとは限りません。自分の人生で、次に何が起こるか予測できません。

家業が失敗して、それまでよりも小さな家に引っ越すこともあるでしょう。学校で落ちこぼれてしまうこともあるでしょう。病気になって落胆することもあるでしょう。これらは、自分に与えられた避けられないことなのです。

こんな時、焦ってはいけません。避けられないことは甘んじて受けるしかありません。うまく行かない時でも筋を通すことです。こんな時でも、筋を通すと、気高い人という印象を人に与えます。

どん底の経験や、落ちこぼれの経験、そしてそこから抜け出るよう頑張った経験は、その人にとって、とてもパワフルな武器になります。与えられた、避けられないことは、人を強くし、将来大きく成長するもとになるのです。(樫野紀元)

2018416182121.jpg

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(16)負ける時は負けてしまえ

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(16)負ける時は負けてしまえ

言った、言わない、で言い争うことがあります。人前で自分を悪く言う人に反論することもあります。これらは、後でどちらが正しかったかわかることです。カラオケで点数を争ったり、ゲームで優劣を競ったり……。

後でわかることで争っても、結局は時間とエネルギーの無駄です。カラオケやゲームの点数にこだわっても仕方ありません。こんな時は、ああそうか、と負けておいたら? 寛大な人、平和をもたらす人という印象を与えるので、すごく恰好いいかも。

とは言え、理不尽は攻撃を受けた時や訴訟などで、自分が正しかったら、社会正義のために争います。理不尽なことに屈することはありません。

ピアノを誰よりも上手く弾けるのに、自分よりヘタは人が評価された、良いアイデアを出したら、あれはパクリだと言われた……。

自分よりヘタな人が評価されたら、しゃくにさわります。一生懸命考えて出したアイデアが、パクリ、と言われたら、とても腹が立ちます。

自分の実力や、ことの真実は、後で必ず知られることになります。その時は、しゃくにさわり、腹が立つでしょうが、後で振り返ると、あれは一時の出来事であった、で終わるのです。自分が理解されない時は耐えるしかありません。耐えるというのは、無理に我慢することではありません。耐えるというのは、時間の経過を待つ、ということなのです。

一方、自分は人がそんな思いをしないよう、きちんと評価するよう努めます。(樫野紀元)

2018319154430.jpg

 

 

「だから私はこう生きる」(15)人生のクォリティを高める

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(15)人生のクォリティを高める

私たちには、生きていくためのモノとお金が必要です。それらがたくさんあって、安穏に生活する人生をクォリティライフと言っています。それはそれで結構かもしれません。人生のクォリティを高めるというのは、本当はどのようなことなのでしょう?

ある音楽会でのことです。出演者はAさんと高名なゲストの二人でした。その音楽会では、Aさんは自分の曲を主に演奏し、高名なゲストは、Aさんの曲を二曲を合奏して終わりでした。トークでは、Aさんは自分の売り込みの話ばかりで、高名なゲストは、ただAさんの傍にいるだけでした。自分が主役であることを、ことさら強調しても、人を惹きつけることはできません。会場は白けた雰囲気でした。Aさんは、人生のクォリティを高めるためには、まずゲストを立て、観客を楽しませることを主にすべきだったのです。

名声は人がもたらすものです。自ら名を売るというのは自己の満足度を高めるだけの小さな野心を表しているにすぎません。目の前にいる人が花咲くようにする人は、さすが、と言われます。その噂はネットや口コミで次第に広がります。その方がずっといいのです。自分も人もハッピーになる、それが人生のクォリティを高めることなのです。

高校野球でレギュラーになれず、練習の時に散らばった球を拾うなど、チームのサポート側にいる高校3年生がいました。彼は、チームの勝利に自分なりに貢献できるならと言って、ひたすらレギュラーの下支えに徹しました。それは実は彼の人生のクォリティを高めるものでした。彼の母親は、活き活きやっていればそれでいい、とわが子を支援しました。

大きな会社の役員になって、車にふんぞり返って乗り、豪邸に住んでいても、その人は見識が無く、その地位にふさわしい風格もなく、仕事もできないという例はたくさんあります。人事が正しく行われず、そんな人が高い地位にいること自体、恥ずかしいことなのです。一方、高い地位にふさわしい品格や見識、能力がある人が低い地位にとどまっている例もたくさんあります。これは社会の大いなる損失です。

品格や見識がある人は、高い地位を目指してあくせくしたところで何にもならない、そんなことよりも広い世界にいるたくさんの人々の役に立つことを考える方がずっといいと思っているものです。そうすることが自分の人生のクォリティを高めることを知っているのです。(樫野紀元)

201831915444.jpg

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(14)良いリーダー

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(14)良いリーダー

企業などの組織で、良いリーダーは弁舌よりも仕事に取り組む熱意と気配りを優先します。リーダーに熱意が無いと、下にいる人はついてきません。知らないことや能力が足りないところは、周りがカバーできます。しかし熱意はカバーできません。しかし、いくら熱意があっても、ひとりよがりになったり、自慢話をしたり、下にいる人を馬鹿にしたり怒鳴りつけたり、ではリーダー失格です。

企業では、良いリーダーは、社員一人ひとりが持ち味を活かして、張り切って働けるよう、取り組むべき課題をどこまでも追及します。優れた社員には仕事を任せます。社員は失敗しながら成長します。良いリーダーは、その失敗を共有します。何よりも、良いリーダーは下の人の意見をよく聴きます。

リーダーが指示は出すものの、あれだめ、これだめ、と言っていると、社員は自己抑制のかたまりのようになってしまい、指示を待つだけの存在になり、活き活きと活動できなくなってしまいます。おまけに社員は、生命の躍動感がどのようなものか知らないままです。これでは人材は育ちません。人材を育てない会社はつぶれます。

良いリーダーは、一人ひとりの社員に、世によりよいものを提供するために、自分に何ができるか考えさせ、創造的で活力ある社員になるよう導きます。(樫野紀元)

2018319154413.jpgのサムネイル画像

 

「だから私はこう生きる」(13)自立している人ってどんな人?

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(13)自立している人ってどんな人?

自立している人は、まわりの環境や人の意見に左右されることはありません。人の目を気にしません。と言って、自分勝手ではありません。気にいらないことがあっても、とりあえずは自分を抑え、文句を言ったりしません。自分を憐れむことがなく、労力を厭うこともありません。そして、自己弁護することがありません。他の家族をうらやましく思うこともありません。人を批判したり、媚びることはありません。うまく行かないことがあっても、人のせいにすることもなく、くじけたり、やる気を失うことはありません。嫌なことを言われても、すぐ忘れます……。

どうですか? 皆さんは、この中のいくつ当てはまりますか? 若いうちは三つ以上当てはまっていたら、人格が優れた人と思われるかも。

もちろん、自立している人は人生の目標をしっかり持っています。自立していると、人から信頼されることもあり、宇宙からたくさん気をもらえ、ヴァイタリティが旺盛になります。仕事も勉強も、もしかしたら恋愛も? とてもよくできるようになります。(樫野紀元)

2018416182042.jpg

 

「だから私はこう生きる」(12)なぜ勉強しなければならないの?

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(12)なぜ勉強しなければならないの?

”皆が平和で幸せに暮らせる世をつくる” このことは、いつの時代も人々に与えられた課題です。この課題を成し遂げるために、私たち一人ひとりが必要な知識を持ち、自ら思案し、ものごとの本質を見通す力を身に付け、創造する人になることが期待されます。

その期待に応えるために、私たちは勉強するのです。勉強は、必ずしも、有名大学に進学するためのものではありません。

実は、勉強するのは、宇宙にある「意識のクラウド」とのやり取りなのです。このやり取りをするほど「意識のクラウド」にアクセスしやすくなり、情報をさらに多く得ることができます。

まずは、自分の心がうきうきする分野を見つけ、その道を進むのが自分を世に活かす一番いい方法です。自分が選んだ道を進んでいると、必要な能力は自然に身に付きます。もともと、それに合う能力があるから、その道を選んでいるのです。楽しい勉強なら、やる気も出ます。上達も早いでしょう。それは創造する人になるもとでもあります。一番自分らしくしていられる場所で盛大に輝く! これです。

ではありますが、自分が学んだことや自分の価値観を、唯一絶対のものとしてはいけません。自分が学んだことから外れているものを認めたがらない人は多いです。それでは他の世界を知らず、ともすれば高慢な人になってしまいます。

この世に居る人は、いろいろな考えを持っています。自分の考えや価値観だけを正しいとし、それ以外は間違い、とは言えないのです。何にせよ、他の説にも向き合ってみることです。

ところで、剣道や柔道には型があります。歌舞伎には歌舞伎の型があります。スポーツにせよ、学芸にせよ、すべてのものに型があるのです。まずはその型を学ぶことが基本の勉強になります。日本の伝統技芸の型を受け継ぎ、後世に残すことは、私たちの使命です。こうした原点をつないでいくのも勉強なのです。

一つの分野にどどまらず、いろいろな分野の知識を身に付けるようにします。そうすることによって、さらに理解力が深まり、自信が持てるようになり、社会で広く活躍できる素地がつくられます。例えばですが、江戸時代は封建制で、身分の上下があって、能力があってもそれを発揮しにくい社会であった、と習います。しかし実際は、江戸時代はとても民主的で、市民が世界に冠たる文化(元禄文化など)を華開かせ、能力があったらしかるべき立場に取り立てられたのです。こうした目から鱗の勉強は、単に面白いだけではなく、自分の思考の枠を拡大させてくれるのです。

世は常にさまざまな問題を抱えています。そこには、実は、正解がありません。国際間では、民族も宗教も異なる人たちが、自分の考えこそが正しい、と主張し合います。そんな中で、自分自身で、いかに人々が共存し得るか、自分で考え、判断することが求められます。そのために、いろいろな知識を身に付けておく必要がある、つまり勉強する必要があるのです。(樫野紀元)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(11)本当のエリートってどんな人?

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(11)本当のエリートってどんな人?

周りの人がにっこり微笑み、癒され、元気になる人、そして話を聴いて、一つでも参考にできることがあって得をした気分にさせてくれる人が本当のエリートです。

一般にエリートというと、有名な大学を出て、社会の指導的な立場にいる人、を思い浮かべます。しかし、いくら有名な大学を出て、社会の指導的な立場にいるとしても、その人の存在によって周りの人の笑顔が消え、気分が滅入るようであれば、その人は全然エリートではありません。

本当のエリートは、人をなごませ、人を元気にし、人を向上させる人なのです。日常の一瞬一瞬で、善い心の働きを出すようにすることによって、誰もが本当のエリートになります。(樫野紀元)

 

2018319154439.jpgのサムネイル画像

「だから私はこう生きる」(10)無心になる!

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(10)無心になる!

何によらず、ものごとの成功の秘訣は無心になって臨むことです。いざという時、無心になると、いかんなく自分が持っている力を発揮することができます。

まずは、試験やスポーツの試合、プレゼンの時など、よし、やってやろう、という気構えが無いと、人の期待を大きく裏切ってしまいます。でも、ここ一番の時、失敗したらどうしよう、恰好いいところを見せよう、などと思うと緊張し、その気構えが空回りして、自分が持っている力を十分に発揮できません。

そんな時は、何か他のことを思うことによって、緊張を和らげることができます。

例えば、野球の試合で、この打者をアウトにしたら勝てるという時、投手は、その打者をアウトにする力があっても、ヒットを打たれたら負ける、と思うと緊張し、持っている力を出せません。そんな時は、自分ならこれを乗り越えられると思う、あるいは、この試合が終わったら録画した映画を観るなど、楽しいことを思うと、不思議に緊張がほぐれ、投球に集中でき、自分の力を発揮できるようになるのです。(樫野紀元)

2018319154430.jpgのサムネイル画像

「だから私はこう生きる」(9)人はいつも自分の器量をさらしている!

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(9)人はいつも自分の器量をさらしている!

あの人はケチだ、と言う人は、自分がケチなのです。あの人は疑い深い、と言う人は自分が疑い深いのです。(心理学では、このことを投射と言います)人は、自分の器量で人を観るのです。人も、こちらの器量をその人の器量で観ています。

人に厳しく自分に甘い? よく言いわけする? 自分をアピールする? 身だしなみは? すぐイライラする? 自分が話すことや、やっていることは、実は自分の器量をそのまま示しているのです。

実力が無い人ほど、人を侮って見下します。人を侮ると、この人はその程度の人か、と思われてしまいます。年若の店員さんなどに、上から目線で横柄にものを言う大人をよく見かけます。そんな大人は店員さんから心の中で馬鹿にされているのです。

一方、実力があるのに優しく謙虚で、細やかな気配りを忘れず、言葉づかいがていねいで、表には自分の意思や理想を示さないものの燃えるような心意気で大きな目標に向かって進んでいる、そんな人は、器量が大きく見えます。

そんなことどうでもいい、器量がないと思われてもいい、今楽しければいい、という人もいるでしょう。でも、変にいきがる人ほど、自分が人からどう見られているか気になるのです。(樫野紀元)

2018319154448.jpg

「だから私はこう生きる」(8)義って何?  

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(8)義って何?

義というと、何やら古めかしく聞える言葉ですが、全然、難しいことではありません。ちょっと大げさなだけです。

義は、理に叶った人の道、そして、今自分が生きている空間で一番大事なことをやる、という意味です。自分にとって大事なことはたくさんあります。その中で社会的にもっとも大事なことを優先順位の一番上にするのが義なのです。それを実践することによって、結局は、自分の居場所が心地よくなるのです。自分が居るところを、よいふる里にするカギは、市民一人ひとりの義の実践にあるのです。やはり、ちょっと大げさかな?

続けさせてください。言うならば、義の実践は、私たちの必修科目なのです。

家庭では、お父さんやお母さんは、働いて家族を守り子どもを育てることが第一ですが、部屋を心地よくするためにテーブルに花を一輪飾るのも義です。義の実践は、こうした小さなことからでいいのです。小さなことでも、全体をよくするのが義なのです。

学校では、先生と生徒は、教室を心地よい場所にするのが義です。そう言うと、何だか、やな感じ? でも、先生と生徒が、それぞれの立場で、この世を背負ってるくらいの気持ちでいることが、義の実践に繋がるのです。先生方、一度そう思ってみてください。

企業は、人々が必要とする、品質のよいものを供給するのが義です。これは確かです。目先の利益を追うのは義ではありません。自社だけの損得も大事でしょうが、企業は社会のためにある、とするのが義です。経営者のみならず、社員一人ひとりが会社を背負っているくらいの気持ちでいることが、企業のため、ひいては心地よい社会つくりのため、結局は自分のためになるのです。

国や自治体のリーダーは、国や地域を発展させ、人々が安全に安心して健康に暮らすことができるよう、ぶれることなく、しっかり、迅速に、政治や行政を行うのが義です。気概も実行力もなく、些末な異論にとらわれ、保身を図り、言い訳し、次の選挙で当選することばかり考えているようでは、リーダーとして失格です。国や自治体のリーダーこそ、義を実践するため、国益と国民の幸せを第一に考えた施策を実践しなければなりません。一方、国民は、心地よい社会をつくることによって、その中で自分が幸せになれることを常に思い、時には自分が社会を背負って立つくらいの気持ちでいることです。そうした心構えを皆が持つことによって、社会は劇的によくなるのです。(樫野紀元)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

「だから私はこう生きる」(7)人に嫌われない生き方

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(7)人に嫌われない生き方

パワハラ、セクハラ、いじめは、自分より弱いと思っている人を対象とした、とても卑劣で恥ずかしい行為です。こうした行為をする人は、たとえ年輩の人でも、自信が無く、自己中心で、すぐ保身に走るような、自立していない弱い人です。

自己中で自分の考えを押し通そうとする、すぐに感情を表に出す、注意するとふてくされるか逆切れする、何でも悪い方に解釈する、自分の価値観に合わないことや気に入らないことがあるとチョームカツクーとなる、失敗を人のせいにする、人に知られたくないことをしつこく探る、人の批判をする、悪口を言う……。

こうした好ましくない心の働きは、そのすべてが宇宙にある「意識のクラウド」に入ります。そしてそれは、後で必ず、そっくり同じ心を傷つける波動になって自分に返ってきます。人を傷つけることは、実は自分の首を絞めることなのです。

力がある人におべっかをつかって、その力を分けてもらい、悪賢く人をだましてお金や地位を得る人がいます。そんな人は自分より優れている人をねたみ、自分より劣っている人には偉そうに振る舞います。このような人に怨みをいだき、憎らしく思う人が多くなるのは当たり前ですね。

人に迷惑をかけ、その証拠となる文書やデータを隠し、あるいは書き換えても、また偽りの証言をしても、それらはすべて、いつか必ず世に知られることになります。すべての人の思いは、その内容を問わず、すべて宇宙にある「意識のクラウド」に蓄積されます。人は誰もが、無意識にいつも宇宙にある「意識のクラウド」とやり取りしています。それで、いつか必ず、広く人々に、こと細かに、すべてが知られることになるのです。マスメディアを通して、ということもあるでしょう。

ところで、自分勝手、卑怯、怠惰、凶暴など、人に嫌われる心の働きを出していても、その人の心の奥底には、素直な心、善いことをする心の働き、つまり徳(良心)があります。このままではよくない、人に嫌われる心の働きを出すのは止めよう、と思うだけで、心の奥底にある徳が表に出てきます。周りでいくら注意し、意見を言ってもその人は変わりません。その人自身が気がつきさえすれば、すぐに、人から嫌われない生き方ができるように立ち直れるのです。(樫野紀元)

2018416182132.jpg

 

 

 

 

「だから私はこう生きる」(6)自己紹介で話すこと

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(6)自己紹介で話すこと

皆さんは、自己紹介のとき、何を話しますか? 初対面の人たちに自分のことを少しでもわかってもらいたい? 仲良くしてもらいたい? よい人と思われたい?

親をはじめ、幼少期に周りにいた人たちは、自分の心の働き(意識)に少なからず影響を与えた人たちなので、話すことは自己紹介の一部にはなります。しかし、親が社会的に高い立場にいる、金持ちである、などを自慢すると、冷笑されるだけです。

出身校や勤め先は、一時期、そこに身を置いた、というくらいの意味しかありません。ましてや、出身校や勤め先が有名であることを得意げに話すと、反発されるだけです。

学んだことや、今やっていること、これからやりたいこと、趣味や自分が身に付けた技芸を話すのは、自己紹介になります。

自分はこれだけ儲けた、人より一ランク上にいる、ブランド品をたくさん持っている、有名人の知り合いがいる、などを話すのは、自分が自立していないことを示すだけです。

人の人生は、盛衰と浮沈など、相反する二つからなります。順調にことが運んでいるときもあれば、悲嘆にくれるときもあります。得意の絶頂にいたのが、突然、奈落の底に落ちることもあるのです。

失敗談を、自分をさらけ出して話す、これは十分、自己紹介になります。それは、他の人たちと手をたずさえて共にやっていける人、という印象を与えるとても効果的な話になります。(樫野紀元)

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

「だから私はこう生きる」(5)心のカサブタ

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(5)心のカサブタ

すり傷が治る時、カサブタができますね。カサブタが取れた時、皮膚のその部分は前より強くなっています。同じように、心の傷にもカサブタができて、心は強くなります。生きている間には、幾度も心に傷を負うことがあるでしょう。そのたびに心は強くなるのです。

ところで皆さん、自分は何を理想としているか、心の奥底にある自分の声をよく聴いてみてください。こんなことを理想としたら、きっと人から笑われる、そんなの無理と言われる、などと思わないでください。口に出さなくてもいいのです。堂々と、自分の理想を持ってください。ダメになって傷つきたくない、だから理想など持たない、というのでは本当にダメな人になってしまいます。

試練があるほど理想に近づく、理想の実現には試練は不可欠、これが宇宙の掟です。地球にはだいたい1万年に一度、水をたくさん含む彗星が衝突しました。衝突するたびに大量の水が地球にもたらされました。彗星の衝突は地球にとって試練でした。誕生してから46億年の間、何万回もこの試練を経て、マグマの塊であった地球は今日、美しい水の惑星になったのです。

理想を持ち続ける人は強い人です。その理想に向かって進む姿に、人は感動します。スポーツにせよ、仕事にせよ、頑張っている姿に人は感動します。理想を持って進むと、その思いは「意識のクラウド」(このシリーズの(4)をご参照ください)にある同じ情報と共振します。それによって思いは実現に向かうのです。どんなことでも、人それぞれに、やりたいこと、やれること、やらなければならないこと、をやればいいのです。理想を追ってしっかり生きていると、挑戦心が養われ、生き抜こうとする活力(ヴァイタリティ)が旺盛になります。

理想の実現に向かって頑張るのは自分だけではありません。他の人も、それぞれ理想を持って頑張っているのです。個々の頑張りが、私たちがいるこの世を支え、発展させるのです。

一方、理想の実現は試練の克服と裏腹の関係にあります。心のカサブタが幾度もできる事態があるでしょう。そのたびに心は強くなるでしょう。とは言え、あまりに不当な扱いを受け、耐えられないくらいに心が傷つくような時は、理想を持って進め、などと言われても、とてもそんな気分にはなれません。これは耐えられない、心にカサブタができるというレベルをはるかに超えている、と感じた時は、思い切って、そこから遠ざかることです。そして一息ついて、また気分を新たに理想を持って進むのです。   (樫野紀元)

2018416182121.jpg

 

「だから私はこう生きる」(4)意識って量子情報なの?

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(4)意識って量子情報なの?

アメリカ、アリゾナ大学意識研究センター所の元所長、S.ハメロフ博士は、「私たちの意識は量子情報として宇宙に貯蔵され、永久に存続し続ける」と言っています。また、ノーベル賞受賞者を30名以上も輩出しているドイツのマックス・プランク研究所の元所長H.P.デュル博士やC.ヘルウィク博士は、「私たちの身体は滅びても、意識は宇宙にある量子情報の中に入って生き続ける」としています。英国、グラスゴー大学のD.ハミルトン博士は、「私たちの意識は量子レベルで時空を超えて存在している」と言っています。日本ではこうした研究は、全然と言っていいほど為されていません。

実は、とても古い時代からこの概念は唱えられていました。古代インド哲学では、世界をつくっている五つの元素は、地、水、火、風、そしてアカーシアである、としていました。このアカーシアは、宇宙にある、宇宙の誕生以降のあらゆるできごとが記録されているもの、のことなのです。同じことを唱えた古人は何人もいます。今日、古人が唱えたことが科学で裏付けられているのですね。

ともあれ、科学的に明らかにされているのは、宇宙にはこれまで地上に現れたすべての人の意識が量子情報として貯蔵されている、ということです。過去に存在した、善い心の働き(意識。以下同じ)も悪い心の働きも、ぜーんぶ、宇宙に貯まっているのです。

「だから私はこう生きる」シリーズでは、私たちの意識は宇宙にある、を前提にしてお話を進めさせていただきます。そして、宇宙に貯蔵されている意識を「意識のクラウド」と呼ぶことにいたします。(「意識のクラウド」は、既に、紀元塾の会報や講座で幾度も使っています)(樫野紀元)

2018416182141.jpg

 

 

 

「だから私はこう生きる」(3)私たちが選べること、選べないこと

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(3)私たちが選べること、選べないこと

私たちは親を選ぶことはできません。生まれた時、親は既に決まっています。家を選ぶこともできません。家がお金持ちか貧乏か、生まれた時、既に決まっています。人種や性別を選ぶこともできません。国を選ぶこともできません。

そんな風に言うと、何だかがっかりしますね。でも、私たちは生まれた後の自分の生き方を選ぶことができます。家がどうであろうと、人種や性別がどうであろうと、私たちは、こうなりたい、こうしたい、などと思うことによって、自分の人生を新たにつくっていくことができるのです。これができるのは人だけです。

何を着るか、何を食べるか、何をして過ごすか、私たちは日々刻々、何らかの選択をしています。進学、就職、結婚、転職……、みな選択によって決まります。ことの大小はともかく、さまざまな局面で、いつも私たちは選択しているのです。

時には間違った選択をすることもあるでしょう。選択によって上昇下降を繰り返す、それが人生の筋道でもあるのです。

いずれにしても、はっきりした目標や希望を持って進めば、日々刻々、自ずと、その目標や希望に沿った選択をするものです。そして人生はその方向に向かいます。(樫野紀元)

 2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

「だから私はこう生きる」(2)親孝行って何?

「だから私はこう生きる」 わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと!

(2)親孝行って何?

日頃、お父さんやお母さんが病気にならないように気を配り、病気になったら看病するのは、もちろん親孝行です。子どもが健康で社会貢献することも親孝行です。親に心配をかけないのも、もちろん親孝行です。

でも実は、親が無事に息災でいるよう、心の中で思っていることこそが親孝行なのです。親を心の中で思うだけで親孝行になるなんて、一体どういうことでしょう? この謎は、この「だから私はこう生きる」シリーズを読み進めていただいている間に、解けていると思います。(樫野紀元)

 

2018319154439.jpgのサムネイル画像

「だから私はこう生きる」(1)自分の良いところを三つ上げてください

「だから私はこう生きる」わかっているようでわかっていない、本当に大切なこと! 

(1)自分の良いところを三つ上げてください

心を澄まして、自分の良いところを三つ上げてみてください。人に優しい、自然を守る、嘘をつかない、などいろいろあると思います。

いかがでしょう? 自分の良いところ三つには、何か共通するものがあることに気がつきませんか? その共通するものは何でしょう? 素直な心、あるいは善い行いをする心の働き、ではありませんか? それは徳というものです。

誰もが心の奥底に徳を持っています。そしてそれは宇宙からやってきたものなのです。

えっ? 徳は宇宙にある? この謎は、この「だから私はこう生きる」シリーズを読み進めていただいている間に、解けていることでしょう。(樫野紀元)

 

2018416182141.jpg

世評・ニュースをどう見るか?

1月の講座は、「本物を観る目」(1)世評・ニュースをどう見るか? がテーマでした。

「論語」をもとに、新聞やテレビなどのマスメディアが出している情報を、私たちはどう判断したらよいか、意見交換を行いました。

「衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す」

(皆がそれは好ましくないと言っていても、必ず自分でそれが本当によくないことか見極めることです。皆がそれは好ましいと言っていても、必ず自分でそれが本当に好ましいものか確かめることです)

「それ達する者は、質直にして義を好み、言を察して色(しき)を観る」

(意訳;本当のジャーナリスト(達する者)は、ありのままに情報を伝えることを好みます(義)。情報源の人の言葉など(言)は細かく吟味します。そして目に見えている状況(色)を正しく分析します)

正しい情報は8割、フェイクが2割、などと言われているようです。裏取りしない情報、意図的に曲げられた情報、反日の情報(国益を損なう情報)などは、私たちを間違った方向に導きます。真実はいつか(時間がかかっても)必ず表に現れます(宇宙の理)。また私たちの奥底には、正邪を見極める力があるのです。そうした好ましくない情報を出しているメディアは、いつしか世の中から消え去っていることでしょう。

 

2018416182132.jpg

つき合ってはならない人(論語より)

「不快な思いを匿(かく)して其の人を友とするは恥也」(論語)

(訳ー心中不快に思い、憎しみや怒りを感じる相手なのに、それを押し隠して、其の人と表向きにせよ友として仲良くつき合おうとするのは、心が広いというよりも、こちらの心がねじ曲がっていることを世間に示す恥ずかしいことなのです)

たとえ不快に思い、怒りを感じても、良きライバルである人、敵ながらあっぱれな人、思想は異なっても筋を通す立派な人……、こうした人は切磋琢磨できる、友としてつき合える人です。

一方、過去にとてもよくしてあげたのに恩を仇で返し、事実を歪曲して悪口をいいふらし、平気で約束を破り、いとも簡単に裏切り、否定的なことを少しでも言おうものならギャアギャア騒いで反論し、仕返しし、変にプライドが高く、上から目線で話し、自分の要求は押し付けるがこちらの要求は撥ねつける……。おまけに不都合はこちらのせいにし、強い者にはすりより、多くの人に自分の支援を要請する……。激高して暴力沙汰に及ぶ……。驚いたことに、この世には、こうしたマイナス面をすべて合わせ持つ人がいるのです。

こうした、善とは真逆の、人としての基本ルールも守らないダメな人には、誰もが不快を感じることでしょう。

このようなダメな人は、ガツンと一撃、ということもあるのでしょうが、とりあえずは受けた非礼を受け流し、決して深入りせず、今日はと挨拶するくらいの関係にして、一定の距離をおく相手なのです。

そのダメな人が、こうした態度をとるのは、きっと過去に、周りの人たちから(こちらからではない)酷いいじめに遭い続けていたために、心の底に大きな被害者意識をもっていて(被害妄想で攻撃的になる)、また自尊心が異常に大きいからに違いない、このことを理解し、可哀そうだから仲良くしてあげた方がいい、と言う人がいます。

孔子は、こういうダメな人に対して、こちらが仁の心(思いやりの心)を発揮し、好意的に接するのは間違っている、と断言しています。つまり、ダメな人には、いくらこちらが親切にしても、助言しても、まったく意味がない、自分で気がつかない限り、其の人は直らない、変に甘やかすとダメな人は自立できない、だから、そういう人には、基本的には一切かかわらず、放っておくのが一番いい、と言っているのです。

たとえ表向きにせよ、あるいは強力な人から仲良くせよと言われたとしても、こうしたダメな人を友だちとしてつき合うと、結局は、自分自身の尊厳を毀損し、大損し、あげくは、あんな人と友だちなのか、と世間で信を失って軽蔑されるだけ、と孔子は強く戒めているのです。

          

2018416182141.jpg

 

 

 

いつも世の中を広く見渡していること(論語より)

「人、遠慮(とおきおもんばかり)無ければ、必ず近き憂い有り」(論語)

(訳ー目の前の満足によらず、いつも世の中を広く見渡していないと、必ず自分の身の周りに何らかの困難や心配ごとが起きるものです)

どこそこへ行き、美味しいものを食べ……。大きな問題もない満足した生活、結構ですね。

この洋服は流行に合っていない、このタレントを知らないと時代遅れと言われそう、簡単なことができなくて恥ずかしい……。友だちがそっけない、ラインでスルーされた、店員の対応が気に入らない、弟がいうことをきかない……。こんなことを気にしつつも、とりあえず何となくやって行けている、こんな日常も結構でしょう。

宇宙は絶えず不確定で変化しています。この世も常に不確定で変化しています。この世には、いろいろな国があり、人がいます。いろいろな産業や職業、文化や芸術があります。発展しているところもあれば、停滞しているところもあります。もめごとを抱えて困っている人が大勢いるところもあります。環境が破壊され、生態系の破壊も進んでいます。

そんな中で私たちは、自分が今どの位置にいるかなど、あまり考えることはありません。目の前の満足を大事にして、困っている人や生態系の破壊など気に掛けず、つい利己的な人生を送りがちです。

政治や経済のあり方によっては、この世の活力が大きく低下することもあります。予期しない災害に見舞われるかもしれません。そうなると、その中にいる私たちは、たちまち生活に困ってしまいます。今楽しければいいなどというのは、どこかへ吹き飛んで行ってしまいます。

人は、今いい思いをしたい、からなかなか抜け出ることはできません。孔子は、とかく人は視野が狭く目の前のことしか見えないものである、いつも自分がいるところがどのような状態か把握し(遠慮)、その中で自分はどのように人々に役に立つか考えた方がいい、そうしないと自分が困った時、あわてふためくことになる(近き憂い)、と言っているのです。

自分だけ、自国だけ、はますます意味をなさない状況になっていくと思われます。産業や経済その他が世界の国々で「いれこ」の状態になるグローバル化が進んでしまっているからです。

それに自国だけ、自国民だけ、は戦争をつくり出す概念でもあるのです。

ほとんど自分には関係がないと思いがちですが、人類全体の共存や環境保全などが図られてこそ、私たち個々人は平和で幸せになれるのです。どうしたらよりよい世をつくれるか考え、それを実行するのは、実は私たち個々人なのです。

たまには、どこそこへ行き、美味しいものを食べる……。それは大いに結構でしょう。

ともあれ、ひたすら自分だけ、そして今いい思いをしたい、というところから抜け出ることが、私たちに与えられた課題と思いますが如何でしょうか。

大きな視点で、多面的に考えることによって、自分の立ち位置が明らかになり、自分がこれから何をしたらよいか見えてきます。(具体的に何をどう見て、何をどうしたらよいか、は勉強会での基本テーマでもあります)

2500年前の孔子の言葉が、今とても参考になるなんて、やはり「論語」は時代と地域を超えた、すごいものなのですね。

 

2018416182141.jpg

 

ガンディーの言葉

インド独立の父といわれるモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(1869~1948)は、弁護士、政治指導者です。

1908年に、弁護士として仕事をしていた南アフリカから帰国後、イギリスからのインド独立運動を指揮しました。マハトマ・ガンディーといわれますが、マハトマというのは偉大な魂という意味で、ガンディーの尊称です。

ガンディーは幾多の失敗から学びつつ、人生を真理の探究に捧げました。その彼の言葉をいくつか。

「歴史を通して言えるのは、いつも真理と愛が勝利したということ」

「すべての善の行動は、最後には必ず実を結ぶ」

「弱い者ほど相手を許せない。許せるのは強さの証」

「臆病者は数の力を求める。勇敢な精神を持つ者は、一人戦うことを誇りにする」

「苦が多いほど、勝利は輝かしいものになる」

「幸せになるには、何かをしていなければならない」

「武器は人類を救う役には立たない」

 

2018319154439.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮澤賢治の共感覚

人間学を学ぶ「紀元塾」、月に一度の定例会。今回は宮沢賢治(1896~1933)の共感覚が話題になりました。

「銀河鉄道の旅」「風の又三郎」「注文の多い料理店」「雨にもまけず」など宮沢賢治の一連の作品によって、心が洗われる思いをし、また本当の幸せとは何か考えさせられる読者は多いと思います。

これらの作品が、年齢にかかわりなく多くの人に感銘を与えているのは、一つには、彼の共感覚がベースになっているためと思われます。

共感覚は、例えば陽の光に音を聴き、吹く風に声を聞くなど、一つの刺激に対して二つ以上の感覚を持つことをいいます。純粋に生き、謙虚で、優しく思いやりがある人は共感覚を持ちやすいとされています。

共感覚を持っている人は宇宙のエネルギー(宇宙の氣)を感じ取る力が強いといいます。そしてひらめきを得やすいといいます。

宮澤賢治は、若い頃、星座に熱中し、また原始仏典の「人の命は見せかけの生死を超えて無限に続く」という教えに大きな感銘を受けたといいます。彼の場合、こうした背景があったから共感覚を持っていたと言えるのかもしれません。また、純粋に生き、創作活動にいそしむことができたのは、裕福な実家が経済的、精神的に彼をサポートしたからでしょう。

ともあれ、共感覚を持っていることは、文学に限らず、音楽、絵画その他の分野で、人の心を打つ作品を創る一つのベースになるようです。

 

2018319154421.jpg

選挙の原点(論語より)

「焉(いずく)んぞ賢才を知りて、これを挙げん」

19世紀の終わり頃に行われたわが国初めての選挙では、国民が国の指導者としてふさわしい人を見つけて立候補してもらい、あまりお金を使わずに選挙が行われました。

これが原点です。この当たり前のことが日本では長い間、行われていないように思われます。

指導者としてふさわしい人を見つけると言っても、ともすれば、器量があり真に指導者の資質がある人は間抜けに見え、滑稽に見え、大したことない人と軽んじられることがあります。このことは、孔子が注意しているところです。

誰もが心の奥底に、正しい判断をするルーチンを持っているはずです。まずは有用な人材を見つけるところから始めては、と思います。

今すぐ原点に帰って選挙をすることなど、到底できません。孔子が言ったことを頭の片隅に置いて、いろいろ思いを巡らせては如何でしょうか。

「主権は国民。責任も国民」

 

☆松下幸之助は、会社の幹部人事の際、孔子のこの言葉に即して人を選んでいたようです。

孔子の時代、選挙はありませんでした。今、主権は国民にあります。

今、国の内外で不安定の度を高めています。有用な人材をみつける、または育てることに躊躇してはならないと思いますが如何でしょうか。

 

2018416182113.jpg

道元は量子力学の研究者の生まれ変わり?

道元(1200~1253)は、宇宙にある意識(魂)の量子情報について知っていた?!

日本曹洞宗の開祖、道元は14歳で出家、23歳から約4年間、宗に留学しました。43歳のとき、地頭波多野義重の招きにより越前に移住し、44歳で越前に大仏寺を開きました。その2年後、永平寺に改称しました。

さて、道元が言った「生き死に、悩み苦しむ生の自分は、そのまま全宇宙と一つの命である。人は動物も植物も、海も山も、風も雨も、万物みな繋がっている」は、すべてが素粒子でできていることを思えば、よく理解できます。

英国グラスゴー大学のD.ハミルトン博士によれば、私たちの意識(魂)は、量子レベルで時空を超えて存在するそうです。

(素粒子は波動であり粒子です。このような振る舞いをするものを量子といいます)

アメリカ アリゾナ大学意識研究センターのS.ハメロフ博士は、私たちの意識(魂)は、量子情報として宇宙に永久に保存される、としています。

素粒子は目に見える物質を造り、さらに目には見えない意識(魂)も創っているというのですね。

ノーベル賞受賞者を30名以上排出している、ドイツのマックス・プランク研究所のH.デュル博士、C.ヘルウィク博士は、私たちの身体は滅びても、意識(魂)は宇宙にある量子情報の中に入って生き続ける、としています。

日本ではこんな研究は、それ宗教?などと誤解されて、なかなか行われません。欧米では、こうした根源にかかわる研究が大々的に行われています。

ともあれ、この宇宙にある意識(魂)の量子情報は、スマホの情報クラウドに象って、いわば意識のクラウドと位置付けられると思います。

道元は「人は死んでも魂は死なない。5歳で死んでも、70歳で死んでも同じこと。その時その時を大切に生きるべし」と言いました。

つまり、いつ死んでも後悔せず! 今を大切に生きる!

ところで、今日の科学によれば、人の意識(魂)は、身体が滅した後、宇宙にある意識のクラウドにいったん入ります。そして、また新しい身体に入ります。転生を繰り返すのです。

素粒子の世界には時間の概念がない、とする説があります。この説によれば、意識(魂)が宇宙にある意識のクラウドから、古い時代における新しい身体に入ることも可能ということになります。

ひょっとすると道元は、今日の科学者が亡くなって、次に、何と鎌倉時代の禅僧に生れかわった?!

2018416182149.jpg

 

つき合わない方がいい人(論語より)

「便僻を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損也」

(強い者に媚びる人、強い者にへつらう人、口先が巧みで立ち回りがうまい人 を友として付き合うと、こちらの立ち位置や信用を損ないますよ)

「小人は諸を人に求む」

(器量がなく取るに足りないこせこせした人は、とかく自分の不都合を他人のせいにします)

「小人は利にさとる」

(小人は目先の利益を喜びます)

 

孔子が言う「つき合わない方がいい人」には、以下に示す1~10の特徴があります。これらは単に器が小さいだけではない、人の道を踏み外すダメな人の特徴です。このことは時代と地域、民族を超えて言えるでしょう。

1悪口をあちこちにいいふらす

2日常的に嘘をつく

3かげで狡いことをする

4自分の不都合を人のせいにする

5筋を通さず、すぐ感情的になる

6約束を守らない

7強い者に媚びへつらい、ひたすら保身を図る

8弱い者には上から目線で横柄

9他を思いやらず、自己の利益と満足だけを追う

10恩を仇で返す

 

たいていの人は、たとえ自分にこの1~10の要素があっても、それを表に出さないよう心がけます。出すとたちまちバカにされ、友を失い、世の信用を失い、嫌われ、つまはじきにされることを知っているからです。心の奥底にあるブレーキが作動するとも言えます。

「過ちあれば、人必ず之を知る」

(不祥事が明るみに出ないよう、どんなに糊塗しても、真実は必ず世に広く知られるようになります)

自分の都合のよいように真実を曲げ、捏造し、隠蔽し、偽証し、虚偽の報道をしても、後で大恥をかくだけです。

孔子は、この1~10を表に出す人は人間としてダメである、こんな人とつき合うと、こちらが傷つき、品格を失い、世間から蔑みを受けてしまう、とも言っているのですね。

「朽木はきざむべからざる也」

(すぐにぽろぽろ崩れてしまうから、腐った木に彫刻しても意味がない。つまり、人間としてダメな人は、周りでいくら意見しても、自分がダメなことに気がつかない限り直らない。意見するだけ無駄)

この1~10を表に出す人は、きっと育った環境が悪かったためでかわいそう、などと同情する方もいるでしょう。あるいは誰とも仲良くした方がいい、などと一見もっともらしく聞えることを言う人もいるでしょう。でも、こうした態度は、ダメな人をよりダメにしてしまうのです。(孔子は、こうした態度を「小人の徳は草也」と表現しています)

ダメな人間は、自ら改めない限り直りません。意見しても無駄です。一方、ダメな人から多大の迷惑をこうむったら、それはダメと言わなければならないでしょう。変に気をつかってマイルドな言い方をするのは間違っていると思います。そうした態度は、まさに「小人の徳」なのです。

「小人の徳」を表に出すと、一見、それは優れた行為であるという印象を他に与えることがあります。しかし「小人の徳」は、人の精神を貧しくするものです。ダメな人を、さらにダメにしてしまうものなのです。

人の精神が貧しくなると社会が貧しくなります。社会が貧しくなると、さらに人の精神が貧しくなります。そしてダメな人が増えます。そうなると社会はさらに貧しくなります。

孔子は、何によらず、物事はきちんと見るように、と言っています。

この1~10を表すことによって人の道に反する人は、とても憐れです。人間力が弱いから、自分のダメなところを改めることができないのです。

ひょっとして、会社レベル、国レベルで、この1~10を表に出すところがある?! もしあったら、そんなところとは、まともにはつき合わないことです。損するだけです。

2018416182132.jpg

 

ニーチェの「超人」

何もしないで傍観している人より、活動する人が好き。(勉強会でのお話)

ニーチェの「ツァラトゥストラ」には「超人」と「末人」が登場します。端的に言うと「超人」は、幼子のように夢中に無心に活動する人をいいます。これに対し、あこがれも無く、挫折がこわくて冒険せず、ただ温もりを求めるだけで、社会のできごとを傍観しているような人は「末人」です。ニーチェは「超人」であろうとする人を愛しました。

今、若い人たちの多くは、自分を肯定する気持ちが少ないといいます。どうせ何やってもダメじゃん、どう頑張ってもダメだよ、という人が多いようなのです。その一方で、自己承認要求は旺盛です。こうして「末人」でいると、悦びを感じる力が弱くなるばかりです。

この背景には、主に日本社会の劣化と閉塞感が上げられるでしょう。また、例えば就活や婚活なども他と比較するばかりなど、世間の物差しで自己評価してしまうからでしょう。その一方で、世間から脱落したくないのです。

勉強会では、同じ生きるなら「超人」がいいという話になりました。

「その進むには与(くみ)する也。その退くには与(くみ)せざる也」(論語)

(訳ー前向きな人とは仲良くします。後ろ向きの人とはかかわりを持ちたくありません)

誰もが自分を向上させる力を持っています。誰もが、イェーイと心の底から叫べる人生を送ることができるのです。せっかく与えられたその力を使わないのは、とてももったいないです。

結局は自分の人生は自分が創るのです。ほんの少しでいいから、思い切って勇気と優しさを発揮してみては? 人からありがとうと言われると、すごく嬉しいものです。自分を苦しめているのが社会の劣化と閉塞感であるとしたら、少しのことでいいのです、それを改善するために自分は何ができるか考えてみては?

前向きの人は必ず悔いのない人生を送っているはずです。

2018416182149.jpg

知的、文化的な活動は、政治的安定と経済的安心があってこそ

サクラモヒラ ギャラリーでの講座、偉人・聖人の生き方に学ぶ人間学、6月のテーマ、ゲーテにちなんだ話題より。

ゲーテは作家、政治家(ヴァイマル公国首相)、そして科学者(鉱物分野)でした。

科学者としてのゲーテはあまり知られていません。彼はヴァイマル公国で活動を始めた頃、鉱物を約10,000点採取し、体系的に分類整理して、世に役立つ資料にまとめました。その中で、針状鉱物のゲータイトは、彼の名前をもとに命名されました。

今回、ゲーテが哲学者ヘルダーの汎神論に大きな影響を受けた話や、「夢は叶う」彼の生き方についてお話をさせていただきました。

意見交換の中から。

ゲーテが知的な活動をなし得、一時代を画する文化を担えたのは、政治的な安定と経済的な安心があったから?! 困難な中でこそ知的活動が進み、文化芸術が花開く、という説もあります。そういうこともあるかもしれません。しかし、政治的な安定と経済的な安心という背景があってこそ、人々は知的な活動をはじめ、文化的、学術的、芸術的な大活躍が可能なのです。

天平文化、安土桃山文化、元禄文化……。世界をリードし、世界に誇れる繊細で美しい日本の文化は、世の中が落ち着き、人々が経済的に安心できる世であったからこそ花開いたのです。

千年以上、受け継いできた日本のソフトパワーを減ずるような世であっては、日本の未来は寂しいものになるでしょう。のみならず、世界の損失と思われます。

2018319154421.jpgのサムネイル画像

上に立つ者は民のよい見本になるべし

5月15日の定例会では「徳川綱吉に学ぶ人間学」がテーマでした。

徳川綱吉は儒学を政治に活かすことを理想としました。そして武家諸法度をそれまでの武断政治から文治政治に改めました。それまでのように武力によるのではなく、学問や教育をもとに国を治めるよう改めたのです。何よりも、民が安心して暮らせるよう、民の負担を軽減する政策をすすめました。

この時代、まだ戦国の世の遺風があって試し斬りがあったそうです。また子どもや病人、年寄りなどの弱者に対して無慈悲な人たちが多かったようです。こうしたすさんだ世相を変えようとしたのが綱吉でした。綱吉のような画期的な改革ができる政治家が出てくるのは時代の要請かもしれません。

政策を変更するためには皆の意識改革が必要です。一丸となって取り組まないと、なかなか理想は活かされません。当初綱吉は上から目線でとりかかったために下の者の嫌気を誘い、なかなか意思の疎通が図られなかったようです。側近にもその意思が伝わらなかったそうです。おまけに綱吉は自分の意思が伝わらないことが理解できなかったといいます。しかし、たゆまず儒学の教えに沿って政策をすすめているうちに、次第に綱吉の意思は浸透していきました。

綱吉は、年貢を横領する代官を根絶し、自ら無駄を排して鷹狩をやめ、東照宮参拝をやめました。能力があれば小身の者も幕閣に登用しました。幕府の会計監査のため勘定吟味役を置きました。

そして「上に立つ者は民のよい見本でなければならない」を徹底するよう努めました。民のよい見本になるためのテキストは四書五経でした。武士は必ずこれを学ぶようにしたのです。綱吉は兵馬初めを読書初めに替え、自ら大名小名に講義をしました。(綱吉は湯島聖堂を建て、儒学の普及を図りました。新井白石、室鳩巣、山鹿素行などの学者を育てました)

犬公方などと言われ、評判が悪いところはありますが、自分の信じるところを敢然と政治に活かしたことが、綱吉以降の江戸時代に生きる人々の精神性を高め、識字率や創造性を世界でもっとも高い水準に引き上げることに繋がったのです。綱吉の時代、歌舞伎、浮世絵、俳句など日本史上初めて民が文化をつくりました。天文学や古典研究も進みました。絢爛たる元禄文化が花開いたのです。近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉などの文人が登場しました。これらは世界によい影響を与える日本のソフトパワー、日本人の底力として今日にも受け継がれているはずです。綱吉に謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは綱吉を「とても才知ある君主」と評したそうです。

さて15日の定例会では、いつものように「人間力」を自己評価するクイズを行いました。

皆で騒ぐより一人でいる方がいいか? 悲観的で最悪のことばかり考えるか? 一途になるタイプか? 好奇心が旺盛か?

人によけいなアドバイスをするか? 必ず約束を守るか? 他人を試すか? 過去の成功例を得意になって話すか? おやじギャグを言うか?

など、今回は計30問、ワイワイ言いながらクイズを楽しんで定例会を終わりました。

2018319154439.jpg

何故、原発再稼働に「ノー」と言えない?

「首都圏の6知事、再稼働賛否示さず」(東京新聞2019年5月11日朝刊、1面)

「命かかる判断 国に丸投げ」(同28面)

原発の本質は「魔法使いの弟子」です。「魔法使いの弟子」は、いくらか魔法を使えるようになった未熟な弟子が、魔法をかけたものの、それを収めることができず、師匠に大目玉をくらう、というお話です。

大量に発生する使用済み核燃料の処理も満足にできず、事故が起こった時の処理も十分にできないのに、効率がいいからなどと言って原発を推進、あるいは再稼働するのは、まさに「魔法使いの弟子」の姿そのものではありませんか。

〇原発は機械です。機械である以上、故障は避けられません。原発に使われる各部品には耐用年数があります。一般に機械系は、高度になるほど脆弱性が増します。その管理や点検のためのコストは計り知れません。燃料費だけで原発がローコストとは、決して言えないのです。

〇原発は多くの場合、人が住んでいないところに建てられます。だから原発を建てても人が住んでいないから安全と言います。しかし、そこは、かつて大きな災害があったから人が住んでいない、あるいは住めなかったところ、とも言えるのです。そこは、他の地域よりも自然災害を受ける可能性が高いところかもしれないのです。

〇活断層が無いところは地震の危険が無い、というのは大きな間違いです。活断層は過去に地震があったために生じたものです。日本では、どこでも大きな地震が発生する可能性があるのです。

原発の事故による災害は、災害の中でもっとも深刻です。

国民の大多数は、原発の廃止を求めています。これは、原発事故を懸念する国民の、心の奥底から発せられる、危険回避の声なのです。

いったん、事故が起きると、何十兆円ものコストがかかります。

放射線を防ぐ材料で十重二十重に覆って使用済み核燃料を地下に埋めたとして、安全が確認されるまでには、ざっと10万年かかると言われています。事故で発生した放射性物質の処理も、また然りです。

原発は利権に絡むという負のイメージもあります。

いずれにしても、原発そのものが国民生命の安全を脅かし、国の基盤を危うくする、この上なく怖いものと人々が気づいているのです。

知事さんたちは、エネルギー政策は国レベルの問題、とおっしゃいますが、そもそも、原発をエネルギー政策に入れること自体が、間違っているのです。

一人でも「ノー」と言ってくれる知事さんがいたら、その県の人たちはとても喜ぶと思いますが、如何でしょうか。

 

2018416182121.jpg

 

講座に参加される皆様へ

講座に参加される皆様

2019年5月11日の大宮での講座、参考にしていただけましたら幸いです。

「偉人・聖人の生き方に学ぶ人間学」をテーマに12回シリーズです。第1回目、澁澤栄一でした。

毎回のことながら、この講座では談論風発、さまざまな意見が飛び交います。今回は、古墳、埴輪、古代インドのアカシア、カタカムナなど人間学のおおもとの話で45分。

そして初めて参加される方もいらっしゃるので、やおら講座の趣旨をひとくさり。

そもそもこの講座は、人間学を学んで自分の内奥にあるとても大事なものを呼び起こしていただく、そして世の中を良くするために自分は何ができるか、を個々に考えるのが目的です。

古典や偉人・聖人の生き方を学ぶだけで精神が爽やかになります。

さらに言えば、今や瀕死の状態ともいえる日本を健康体によみがえらせる処方箋を見つけられるかもしれません。

ようやく、澁澤栄一さんの話になり、彼が説いたこと「人を欺き、ずるいことをして利益を得ても、その会社はほどなく衰退する。利益は、世のため人のためという高潔な経営方針によってこそ得られる」などをお話しさせていただきました。

高潔な経営方針などと綺麗ごとを言っても始まらない、と言われながらも、澁澤栄一は、会社は社会のためにある、という信念を貫き、誠実に経営を行いました。結局は、それが、幾多の事業の成功を導き、またそれを長続きさせたのです。

「君子は貞にして諒せず」(論語)

今日、新自由主義の波にのまれ、言わば、とりあえずの利益(結果的に小利)を得んがための経営が多くなってしまったようです。こうした波は、必ず学びとしなければならないでしょう。

以前、虎の門での経営者セミナーでお話しさせていただいた「こんな会社っていいね」のレジメより(項目だけ)。

1.若手社員が張り切って働いている。社員が今置かれている立場で輝ける。

2.社員間で協力体制がある。部署を多く経験させ、多能的にしている。魑魅魍魎の中で花が咲く。

3.パワハラ上司がいない。パワハラする人は、自分自身を傷つける。

4.世に必要なものを提供し続けている。経営理念が社員に行き渡っている。

5.人材を育てている。必要なのは、基礎力と人間力。

などをお話しして終わりました。

いかがです? 紀元塾の講座は、とても盛り上がります。楽しく充実した時間を過ごすことができます。

どうぞ、おでかけください。

 

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

自分の本質を知る

今,日本は教育、研究、経済、財政、外交、社会保障、どの面も低迷しています。今もっとも必要なのは、一人ひとりが日本の現状を知り、それぞれが自分の果たす正しい役割に気づき、それを迷うことなく遂行することにあると思われます。このことが、実は世直しに直結しているのです。

 そのためには、まずは知っているようで実は意外にわかってない自分の本質を知るところから、と思われます。

 2019年4月の「紀元塾」定例会では、自分の本質を知るためのクイズ(ソクラテスをはじめ古今東西の偉人・聖人の言葉や生き方をもとに頭を絞って作成した問題)で、皆さん、自己診断?! をいたしました。

 日頃自分の意見をひけらかす人は、いざという時、口をつぐんでしまう傾向があります。日頃強そうにしている人は、いざという時、尻込みする傾向があります。

 今回、自分の専門以外のことで、「評判や地位、財産のことは気にしても、思慮や真実を気にかけず、精神をできるだけ優れたものにすることに気をつかわないのは恥だ(ソクラテス)」などの言葉をもとに作った問いかけ、例えば「自分に不利になっても正直に語る?」「保身のために不正にくみすることがあるか?」などに、一人ひとりが虚心坦懐に自分をチェックしました。「すぐ腹を立てるか?」「いつもおだやかでいられるか?」「幅広く学びたいか?」といった問いかけも、もちろん入っています。

 自分の本質がわかると、自分は何ができるか、具体的に何をしたらよいか、が自然に見えてきます。

 特にリーダーたちに、今の自分を知ってもらいたいものです。

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

原宿での「ほんわか音楽会」

4月5日、原宿ルセーヌ館での「ほんわか音楽会」。私の中学時代の友人が声掛けをしてくれて、高校生、若い声楽家の方たち、シニアの人たち、そして私の小・中学の時の友人たちが集まってくれました。

あわて床屋、雨降り、はるかな友へ、大きな古時計など(ドリーム合唱団)、シャンソン2曲(新村美佐代さん)、そしてエルビスプレスリーとビングクロスビーの歌、各1曲を私が歌いました。そして、おもいでなどを参加の皆様全員で歌いました。伴奏は、渡邊恵理さん(全国伴奏コンクールで最優秀賞)です。(渡邊恵理さんは合唱団の指導をしてくださっています。私は指揮をしています)

とても和やかで、楽しい時間を過ごさせていただきました。

櫻は天の被造物で、とても美しいです。人も天の被造物ですから、本来、その心は美しいはずです。今後とも、心を洗えるような歌を唱っていきたいものです。(樫野)

 

2018319154421.jpgのサムネイル画像

道元は中国で「易」や古代インドの哲学を学んだ?

先の講座でのこと。

道元は「人の身体や心は宇宙の一部」と言ったそうですが、このことは、樫野先生は量子力学で説明できるとのこと。なるほど、です。

人は宇宙の一部という説は、遠い昔、中国の「周易」や古代インドのウパニシャド哲学などで、そのベースになるところが既に唱えられていた。だから道元は、中国に行って、こうしたことを学んだのでは、という説明がありました。情報のやり取りが盛であったこともあるので、この可能性はあります。

講座で、中国に渡る舟で、道元は「地球は丸い」を体得したとの仮説、これは理解できます。

(講座の一聴講者より)

 

2018416182141.jpg

ゲーテの感性

以下は、紀元塾「偉人・聖人の生き方に学ぶ人間学」2月(第二回)の会での、聴講者のご意見です。

ゲーテが、ある山裾の花崗岩が広がる光景を見た時「そこには、地球が生成した過程、そして私たちがそこから得る養いの様が一挙にありありと展開していた」と感じたのは、彼が、自然界にあるもののエネルギーを感じ、自然界にあるものと会話ができた、ことを示すのではないか、という講座でのお話、とても興味深かかったです。

石工は石垣を造っている時、石が”ここに使ってくれ”という声が聞えるそうです。それで、的確に石を積めるそうです。こういう感性は、何につけ、とても大きな武器になるのではないか、と思いました。

2018319154439.jpg

 

 

 

 

澁澤栄一の生き方に背骨が通る思いを

毎月1回開講される紀元塾の講座「偉人・聖人の生き方に学ぶ人間学」は、2019年1月から始まっています。

第一回目のお話、「澁澤栄一の生き方」は、江戸時代の大店の主人の生き方に似ているように感じました。特に江戸中期以降、大店の主人は町会所をつくり、災害があった時などに備えて、町民50万人が半年間、食べられる米を備蓄していました。また、大店の主人たちは、率先して私財を、困窮者の救済や民の医療、上下水道の維持、さらには長屋の家賃の補てんなどに投じました。自分の利益より、民の利益を優先したのです。

澁澤栄一は、目先の利益を追って経営すると、会社は必ず衰退する、会社は世のため人のためにある、という信念をもって、500もの会社をつくり、いずれも成功させました。甘いことを言っても始まらない、という人はたくさんいたようですが、彼は、一切、ぶれることなく正論を通し、それが、顧客の信用と信頼を勝ち取って、人々から支援され、結局は、本当の利益を得ることにつながりました。

彼の生き方を学ぶにつれ、背筋がしっかりする思いでした。(一聴講者より)

 

人の美を成し、人の悪を成さず

これは、今から約2,500年前、中国春秋時代の思想家孔子の言葉です。

「人のよいところを褒めるが、人の好ましくないところは他人には黙っている」

褒めることによって人は伸びます。褒められることによって、長所を大きく伸ばし、世で活躍する人は多いです。スポーツの試合などで、直前に、あれダメ、これダメ、とダメ出しされ選手は、たいてい、いい結果を出せません。

ましてや、欠点を指摘し、それを他人に言いふらすなどは、小人がすることです。

 

2018319154448.jpg

 

 

2019年、紀元塾、プログラムが始まります

2019年、明けましておめでとうございます。今年がよい年でありますように。皆様のご健勝、ご発展をお祈りいたします。

本年は、「偉人・聖人の生き方に学ぶ人間学」を、月一回、12回シリーズで開講いたします。1澁澤栄一、2ゲーテ、3道元、4ソクラテス、5徳川綱吉、6ニーチェ、7宮沢賢治、8ガンジー、9上杉鷹山ん、10ルソー、11空海、12アリストテレス、です。

これらの人たちの生き方や言葉から学ぶことは何か? また、共通するものは何か? 新たな発見があると思います。

毎月第三水曜日、19時から、春日部西口大通り 檸檬で開講いたします。(参加費;お一人1000円)

お問い合わせ、檸檬、吉田美代子(048-733-0713)

 

2018416182141.jpg

オツキミの噺 いかがでしたか?

10月に小淵観音院で開催した、オツキミの噺、いかがでしたか? 山門に上がって、月が出てくるところを観た方、ラッキーでしたね。大きな満月が、ゆっくり、真正面に上がってくるところが見えました。

お噺は、住職が樫野先生に質問する形で進みました。縄文時代、江戸時代、古き良き時代の人々の穏やかで創造的な暮らしの噺、宇宙の理、カタカムナの噺がありました。縄文時代の噺が長くなり、後の分が、端折り気味でしたが、今の日本人に伝わっているDNAは、理解できたかも。

また、同趣の企画を、と思っております。お楽しみに。(事務局)

 

2018319154430.jpgのサムネイル画像

人の本質を観る

一見、弱そうに見えても、その人は、とても芯が強い、苦難に耐える気構えをもっている人かもしれません。

日頃、強そうにしていても、いざと言う時、怯えて、竦んんでしまう人は多いです。

優しい人は、本当は強い人かもしれません。強いから、人に優しくできるのです。

いつも、その人の本質を観るようにしたいものです。

2018319154421.jpg

いつも自分の器量がはかられている

なかなか気がつきませんが、人は自分の器量で、相手を評価しています。

逆に、自分が話すこと、やっていることは、すべて、相手から器量をはかられるもとになっています。

例えば、相手を軽んずると、相手から、この人はこんな程度の人、と思われてしまいます。

間口をうんと広げて相手を観る、相手のいいところを見つける、など、自分の器量を上げておかないと、結局は自分が恥をかくことになるのです。

2018416182042.jpg

 

 

蟻の一穴

「蟻の一穴」という言葉をご存知でしょう。 大きな堤防も、蟻がつくった小さな一つの穴によって崩れてしまう、という諺です。 実は、これとは全く逆の道理も成り立ちます。つまり、義を実践するたった一人によって社会を正すことができるのです。 (青島重利)

義って何? 人を観る目、社会を観る目ってどうしたら身に付くの? こうしたことを勉強するのが「紀元塾」です。 (事務局)

2018416182149.jpg

 

今、君たちに必要なのは「論語」だ!

自分は一体どんな存在なのだろう? どんなふうに生きていったらよいのだろう? そんな問いかけに応えてくれるのが「論語」です。

「論語」は、今から約2500年前の中国の思想家孔子とその弟子が語った言葉(語)の中から、孫弟子が後世に残したい言葉を論議して(論)選択し、記録したものです。語を論議して言葉を選んだので「論語」というのですね。

「論語」にはざっと500余りの言葉が集められています。心が爽やかになり元気が出る魔法の言葉がたくさん入っています。それらは実は、宇宙の営みをもとに語られたものです。大昔に語られた言葉ですが、宇宙のお話がベースになっているので、「論語」は時代を超えて読み継がれるのです。

「論語」を読むと、自分の立ち位置や生き方がわかります。迷いや悩みが消え、きっと自信がわいてくると思います。

子ども論語教室「ピーワンちゃんの寺子屋」は、以前、朝日新聞の全国版で取り上げられました。この本は、一冊1000円です。当法人事務局(吉田美代子 048-733-0713)にご連絡をいただきますと、送料無料でお求めいただけます。

 

2018319154421.jpgのサムネイル画像

為政者は「義」を大切に

市民の幸せ、世界平和と国家安泰、この達成を大きな目標として、今なすべきことを考える(周りのさまざまな”環境”を整える)、これが為政者が行う「義」です。

もう何年も、為政者や官僚たちは、市民ー生活者主体というよりも、自分たちの都合や勝手でものごとを動かしてきたという面が少なからずあるように思われます。

市民の側も、この「義」について思いを巡らす必要があります。優れた為政者は、よい市民によってつくられる、という側面もあるのです。

「義」を大切にし、世のため人のために何を為すかを真剣に考える人が、結局は尊敬され、大成するのです。

2018416182042.jpg

このコラム欄の記事は、作者の記名が無いものはすべて、樫野紀元が書いたものです。

 

 

 

古事記の真説、古事記に学ぶ人間学は、この本を!

これまでコラム欄で、約30回、古事記の真説、そして古事記に学ぶ人間学について、お話しさせていただきました。

ここでお話ししたことは、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)に載っております。詳しくお知りになりたい方は、どうぞ、この本をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154439.jpgのサムネイル画像

古事記に学ぶ人間学(12)試練に耐えるとよいことがある

大国主命は、愛するスセリヒメの父、スサノオ命から、ムカデがたくさんいる部屋に泊められ、野に出ては草を焼かれて逃げ場を失うなど、度重なる試練を与えられました。大国主命は、強い意思で、こうした試練をすべて乗り越えました。そして美しい瑞穂の国をつくることができました。

自分の運命は自分がつくるものです。とはいえ、不都合なことが生じて、思うように進まないのが普通です。そんなとき、やる気を失い、自信を失い、少しのストレスでも心がくじけたりします。不都合なことは、試練なのです。試練は、その人を発奮させ、忍耐強くさせ、それまでできなかったことをできるようにする特効薬です。大きな目標があると大きな試練があります。大なり小なりの試練は、輝く未来が待っていることの前触れなのです。

2018416182121.jpg

 

 

古事記に学ぶ人間学(11)直感は天の声

大国主命はスセリヒメと会ったとき、この人は自分のパートナーになる人、と直感しました。これをフトマニ(霊示)といいます。こんなことをするとヤバイ、などと感じるのもフトマニです。

フトマニは、太古の昔は鹿の肩の骨を焼いて吉凶を占う占術のことでした。その後、何百年も経て「古事記」がつくられたころは、フトマニは神がかりによってもたらされる天啓を指す言葉としても使われました。

懸案であった問題の解決策が突然わかった、何気なく本屋に入って棚を見ていたら自分が必要とする本があった、などというのもフトマニです。心が澄んでいるほど、フトマニを得やすくなります。

2018416182149.jpg

古事記に学ぶ人間学(10)人それぞれに性格が異なるわけ

邇邇芸命(ニニギノミコト)は、宇宙の神様の分霊(わけひ)として、この世に降臨しました。人は受胎したとき、宇宙の神様のさじ加減によって、和、荒、幸、奇の四魂(しこん)が魂留(たまづめ)されます。(一説によると、魂留は、地球から約8000光年のところから、光の何倍ものスピードで、波動によってなされるそうです)

親は飲んだくれなのに子は利発で人望がある、兄は豪快なのに弟は臆病で神経質、姉は人を信じるのに妹は猜疑心が強いなど、親兄弟でも性格が異なることがあります。それは、四魂の与えられ方がそれぞれ異なるからです。例えば、幸魂はたくさん与えられているのに荒魂が少ないと、やさしいが覇気に欠ける、という性格になります。荒魂がたくさん与えられているのに、奇魂が少ないと、やる気は旺盛だが仕事はちょっと、という性格になります。

とはいえ、性格の大部分は、与えられた四魂に加えて、幼年期までに接する親や兄弟など周りの人や環境の影響、そして何よりも、自分はこうありたい、という想いによってつくられます。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018416182141.jpg

古事記に学ぶ人間学(9)私たちは無数の波動が飛び交う中にいる

大国主命は、兄神たちに殺され、粉々にされました。その粒子を集め、母神の乳でこねて一体にしたところ、大国主命は麗しい若者に戻りました。古代の人は、ものも人も、みな粒子でつくられている、と考えていたのですね。

ところで、すべてのものは粒子でできています。どの粒子も波動を出しています。水素や酸素は原子核と電子(粒子)から成ります。それらは波動を出しています。この二つが合わさって水になると、水特有の波動を出します。私たちは波動をキャッチすることによって、そのものを認識するのです。

人も波動を出しています。テレビやラジオが特定の波動に伝えたい映像や音声を載せているように、人の波動には、その人の”人となり”が載っています。私たちは、その波動をキャッチすることによって、その人の性格や技量を判断するのです。

ともあれ、私たちの周りには無数の波動が飛び交っています。私たちはその中にいて、休むことなく波動のやり取りをしているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

古事記に学ぶ人間学(8)自己紹介で話すこと

天照大神は、いつまでたってもスサノオ命が自立せず、乱暴、狼藉の限りを尽くすので手を焼きました。スサノオを正し、自立させるには、この手しかない、と天照大神は岩屋戸にたてこもり、世の中を暗闇にしました。

自己紹介のとき、何を話しますか? 実は自己紹介でその人の自立度がわかります。一流大学を出た、一流会社に勤めている、などと得意げに話す人は、いつもちやほやされていたい、自立していない人です。親や親せきの社会的地位が高い、家柄がいい、有名人を知っている、自分はこれだけ儲けたなどと自慢する人も自立した人とは言えません。

学んだことや今やっていること、やりたいこと、特技など自分が身に付けたことは自己紹介になります。自分の来し方や失敗談を、自分をさらけ出して話す、これは十分、自己紹介になります。というより、他の人たちと手をたずさえ、共にやっていけることを知らしめる、とても効果的な話になります。

2018319154439.jpg

 

 

 

古事記に学ぶ人間学(7)心のゴミを吹き飛ばす

イザナキの命は、黄泉の国へ行った後で、自分の心の穢れに気がつき、川の水で身体を清め、心の穢れを祓う(取り除く)ことを想いました。そして心の穢れを吹き祓い、天照大神が誕生しました。

心の穢れ(邪念など、心のゴミ)は、自分でそれに気がつき、それを無くそうと強く想わない限り、取り除くことはできません。周りでいくら意見しても、当人が自覚し自分で取り除かない限り、そのゴミは心の中から無くならないのです。

日本では、何それ、と言われてしまいがちですが、欧米では”想い”の研究が、とても進んでいます。アメリカでは、入院患者の病を、何千キロも離れたところから複数の医師が”想う”ことによって治癒したという報告例があります。

モノと想念とのパワーの差は、5対95です。”一念岩をも通す”というくらい、想いのパワーは強いのです。誰しも、何らかの邪念は生じるものです。邪念は、仕事や勉強などの他、対人関係などに好ましくない影響をもたらすことがあります。心に邪念(ゴミ)があると気づいたら、それを吹き飛ばしてやる、とひたすら想うことです。そう想うことによって、ゴミは吹き飛び、心が澄みわたり、爽快な気分になります。

2018319154421.jpgのサムネイル画像  (紀元塾では、邪念を吹き飛ばす「イス座禅」の会を開催しています)

古事記に学ぶ人間学(6)泣き方で、ミルク・おしめか、わがままかを見分けるべし

イザナキの命は、黄泉の国へ行って、自分の心が穢れていることを悟りました。自分で自分の心に気づくことはとても重要、と古事記は教えているのです。

人は生まれたとき、誰にも等しく、善い心が備えられます。しかし長ずる過程で、その善い心の働きが自分勝手、狡猾、卑怯、嘘など他を不快にする心の働きで覆い隠すようになります。このことは、主に周りの人によってもたらされます。特に、赤ちゃんや幼児の頃は、このことに注意が必要です。

ところで、赤ちゃんや幼児は泣くことによって周りの人の目を自分に向けさせます。それがミルク(空腹)やおしめ(生理)に係る要求なら、必ず応えなければなりません。しかし、赤ちゃんや幼児は、わがままで泣くことが多々あります。そんなとき、よしよし、とわがままな欲求をすべて満たすようにしていると、赤ちゃんや幼児は、命令する(泣いてだだをこねる)と周りの人はそれに従う、ということを学んでしまいます。欲求のままに何でも与えていると、子どもにある種の支配力を身につけさせてしまうのです。

ましてや、親や保育に携わる人はもとより、周りの人のわがままな(他に不快を与える)感情を赤ちゃんや幼児にぶつけるのは、最悪です。絶対にやってはならないことです。赤ちゃんや幼児はそうした心の働きをまともに身に付けてしまいます。

2018319154448.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

古事記に学ぶ人間学(5)すべてのものに意思があるー八百万の神の真実

イザナキの命とイザナミの命は、私たちの周りにある諸々をつくりだしました。このことは、私たちの身の回りにある諸々はすべて、意思をもっていることを意味しています(八百万の神)。

例えば、太陽は地球に光や熱を供給しています。それは太陽の意思です。海は塩分の濃度をほぼ一定に保ち、大気は酸素や窒素などの量をほぼ一定に保っています。それらは海や大気の意思です。土は、五穀や野菜、果樹などを育てます。風や雷は気圧や電位を調整して、大気や土の電位の安定をはかっています。そして、あらゆる人工物は、それがつくられた目的を遂行しています。すべてのものは意思をもっている生命体と考えることができるのです。

この世に存在するものは、一つとして不要なものはありません。その中で私たちは恩恵を受けて生きている、いや、それら意思をもつものによって支えられ生かしてもらっているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照いただきたく思います。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

 

2018319154430.jpgのサムネイル画像

 

古事記に学ぶ人間学(4)5対95則

天照大神は、宇宙の霊力で地下のマグマを励起し火山を噴火させ、噴煙によって世を暗くしました。その霊力は、宇宙の広大な空間に満ちているエネルギーです。

ところで、古事記の冒頭で、タカミムスヒの神様(目で認識される物質の神様)とカムニムスヒの神様(目では認識されない想念の神様)が登場します。実は、宇宙の目で認識されるもの(星やガスなど)と目では認識されないもの(宇宙空間に満ちている素粒子など)の容積の比は、およそ5対95です。つまり、目に見える星やガス(モノ)と目には見えないもの(エネルギーなど)の影響力の差異は、およそ5対95ということなのです。

目には見えない宇宙のエネルギー(95)を作用させることによって、目に見えるマグマ(5)を励起させることなど、わけないのです。敷衍して言いますと、例えば、異性の心をつかむためには、モノ(装身具や宝石など)を贈るよりも、相手を思いやる心の方が、5対95で、よほど大きいということです。

2018416182132.jpg

古事記に学ぶ人間学(3)内面から輝く

古事記では宇宙の創生、宇宙の氣のお話に続いて、人の心-意識の神様(アヤカシコネの神)が遣わされるお話があります。この神様の名前のカシコネは心-意識、の意味です。アヤは、とても大切な、を表す接頭語です。

何をするにしても、必ずその人の人柄が出ます。その人のそれまでの人生が現れると言ってもいいでしょう。例えば、ピアノで同じ音を弾いても、弾く人によって豊かな音になることもあれば、キンキン響くだけということもあります。それは、その人の人柄によるのです。

人は誰もが、人を心地よくさせる善の心の働きと、人を不快にする悪の心の働きをもっています。しっかり自立して、善の心の働きを主に出していると、目が澄み顔が明るくなります。爽やかで温かく力強さを感じさせるオーラが出るようになります。つまり内面から輝くようになるのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できま)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

古事記に学ぶ人間学(2)富や地位は、世のために活用すべきもの

古事記では、宇宙をつくった神様に続いて、宇宙のエネルギーの神様(ウマシアシカビヒコジの神)が登場します。この神様の名前にある、ヒコジ、は古伝などを参照すると、エネルギーを宇宙空間の隅々に拡げる力(今日、ダークエネルギーと言われるもの)と、エネルギーを引き寄せる力(今日、ダークマターと言われるもの)という、相反する二つの意味を合わせもっていることがわかります。

ところで、太陽は地球や土星などの惑星を従えています。太陽は惑星に光や熱などのエネルギーを与えています。力がある天体が力がない天体に、自分の力を分け与えているのです。こうしたことによって、宇宙全体の秩序と調和が保たれるのです。この世では、富や地位の違いが力の大小をもたらしています。富や地位がある者は、たいていの場合、それが無い者に大きな影響を与えます。

富や地位がある者が、それが無い者を支援することによって、この世の秩序と調和が保たれます。富や地位がある者が、それが無い者を見下し、あるいは自分だけがよければよい、と他を顧みないのは、宇宙のルールに反するのです。

2018416182141.jpg

 

古事記に学ぶ人間学(1)誰もが善と悪の心をもっている

古事記は、古伝を参照し、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、その冒頭で「宇宙は、物質(目に見えるもの)の神様と想念(目には見えないもの)の神様が協力してつくった」と語られています。なるほど、宇宙は、(目に見える)星やガスと(目には見えない広大な空間ーすべてをつくるもと)の相反する二つからなります。(想念と宇宙の空間との関係は、下記の本「生を尽くす」をご参照いただくとありがたいです)

私たちがいる地球にも、相反する二つが同時に存在します。例えば、昼と夜、寒と暑、男と女……。そして、私たちは身体(目に見える)と心(目に見えない)の相反する二つを併せ持っています。さらに、誰もが心の中に、思いやり、自立、誠実、謙虚、正々堂々、勤勉など「善の心の働き」と、自分勝手、甘え、狡猾、驕慢、怠惰など「悪の心の働き」の二つの相反する心の働きをもっています。(悪は人を不快にする、が原意です)

善の心の働きを出すと、多くの場合、身体によいホルモンがたくさん分泌します。それは、健康で長生きのもとです。一方、人を不快にする悪の心の働きを多く出していると、健康を損ないがちになります。私たちは、そのようにつくられているのです。

つい悪の心の働きを出してしまっても、(それが犯罪になるものでは困りますが)すぐに改めることによって、心の安定と身体の健康を保つことができます。私たちは、このようにも、つくられているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をお読みいただきたく思います。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018416182121.jpg

 

 

そもそも古事記って何?(3)古事記は人の生き方を教えてくれるもの

100万人の人がいたら、100万とおりの人生があります。姿かたちや性格、価値観、その他まさに人それぞれです。でもその100万人に共通するものがあります。それは、誰もが、この世に生き、自分を輝かせる力、そして豊かな人生を送る力が与えられていることです。そのヒントが古事記に示されているのです。

人の本質は何か、この世の本質は何か、自分にはどのような力が与えられているか、古事記を、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、しっかりつかみ取ることができます。さらに、自分自身はもとより、日本人がもっている良いものを再発見することができます。悩みを吹き飛ばし、今すぐできる素敵なことを見つけることができます。

古事記は世界最高の哲学書なのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018416182141.jpg

 

 

そもそも古事記って何?(2)神話に出てくる天は、アマ? アメ?

古事記によく出てくる天は、アメと読む場合とアマと読む場合があります。アメと読むときは、天は宇宙全体を表します。アマと読むときは太陽系を表します。天之御中主大神は、アメノミナカヌシノオオカミ でアメと読みますから、宇宙全体の神様のことになります。天照大神は アマテラスオオミカミと読みますから、太陽系の神様のことになります。

高天ヶ原も、天をアメと読むときは、宇宙全体の神々がいるタカアメガハラです。アマと読むときは、太陽系の中の神々がいるタカマガハラです。

また、アメは極大のもの、と同時に、極小のものも表します。アメは宇宙全体(極大)を表し、同時に粒子(極小)を表すのです。勾玉はアルファベットのCの字に似た形です。勾玉の大きな丸い部分は宇宙全体(極大)を表し、細い部分の先端は粒子(極小)を表しています。大昔の人は勾玉を身に付けることによって、宇宙と一体感を持っていたのではないでしょうか。

2018416182132.jpg

 

 

そもそも古事記って何?(1)スサノオ命の八岐大蛇退治の話はギリシャ神話から?

古事記は8世紀の初頭にまとめられました。古事記が書かれる前、天武天皇の命により、川島皇子、草壁皇子そして数名の連(むらじ-古代の姓で、神々の子孫と称する氏)が、「帝紀」(歴代天皇の系譜の記録)や「旧辞」(神話をはじめ地域の伝承の記録)の改訂版を作りました。

天武天皇は、若い舎人(とねり-天皇の傍にいて雑務をこなす人)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に、その改訂版の暗記を命じました。稗田阿礼は,一読または一度聴いただけで、それを憶える聡明さがあったといいます。彼は、古伝や海外から入ってきた寓話も、たくさん記憶していたことでしょう。今から一万年以上前から、大陸や南方の島々と往き来があり、さまざまな文化やお話が日本に入ってきていたのです。紀元前2世紀の頃にはシルクロードを通って、インドやヨーロッパの思想や文化が日本にも入ってきていました。

古事記は、稗田阿礼の頭の中に入っている話の中から、天武天皇の3代後の元明天皇が適宜ピックアップした話を、漢学者の太安万侶が筆記し、まとめたものです。

古事記には「帝紀」や「旧辞」だけではなく、古伝や海外から入ってきた話も載っています。例えば、大国主命が兄神たちに殺され、生き返った話は、縄文時代には、すでに昔話として語られていたといいます。この話は、南太平洋メラネシア地方の言い伝えがもとになっているそうです。メラネシアからは、霊魂はあらゆるものに入っているという話も日本に伝わっていました。また、スサノオ命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する話は、ギリシャ神話の、ペルセウスが怪物の生贄にされかかったアンドロメダを救って妻にした、という話がもとになっているそうです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。これらのことが示されている文献を載せています。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018416182149.jpg

古事記の真説(12)大国主命が示す、運命は自分でつくる

スセリヒメと結婚するつもりの大国主命にスセリヒメの父スサノオ命は、あるときはムカデや蜂がいる部屋に泊め、またあるときは草原に矢を取りに行かせ、そこに火を放って追いつめるなど、さまざまな試練を与えました。

大国主命は、そうした試練をことごとく乗り越えました。厳しい試練を乗り越えることができたのは、大国主命が自分自身の未来を切り拓く強い意思を持っていたこと、そしてスセリヒメの陰ながらの助けがあったからです。

そして大国主命は、後に蘆原(あしはら)の国(日本)をつくりました。大国主命の話は、私たちに運命は自分でつくるものであることを教えてくれています。

詳しくお知りになりたい方は樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みをいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

古事記の真説(11)まぐあいは互いに顔を見て相手の気持ちを推し量る、の意

スサノオ命のところに行った大国主命は、スサノオ命の娘スセリヒメと会いました。大国主命とスセリヒメはお互い目を合わせただけで、たちまち心を通わせ、結ばれた、と解されている文があります。伝わっているその文は「(大国主命が来たので)出(い)で見て目合い(まぐあい)し、相婚(みあい)して」です。

この文のもともとの意味は、『(大国主命とスセリヒメは)会ったとたん、互いに、将来を共にする伴侶として望ましい相手であると直感した』です。

目合い(まぐあい)は男女の交わりを表す言葉とされていますが、もともとは、互いに顔を見て、相手の気持ちを推し量る、という意味で使われていました。また、相婚(みあい)の相は、みる、そして婚は、縁組を意味します。相婚は、男女二人が同時に、相手が共に未来を切り拓くパートナーとして望ましい、と直観したことを意味しています。

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

古事記の真説(10)私たちの中にある四魂(しこん)

天孫降臨の場面、「天照大神の孫、ニニギノミコトは高天ヶ原を出て、たなびく雲を押し分けて進み、いったん天の浮橋にすっくと立ち、日向の高千穂の霊峰に降りて行かれた」について解説いたしましょう。

ニニギノミコトは、古伝によれば、天津日子番能邇邇芸命(あめつひこほのににぎのみこと)です。天津は宇宙の、の意味です。日子は霊凝(ひこ)の当て字で、魂留(たまづめ)された、という意味があります。また、番(ほ)は秀麗な、という意味です。ニニギノミコトはそもそも瓊瓊杵尊と記されます。瓊(に)は光輝く珠のことです。つまり、ニニギノミコトは宇宙の神様の分霊として、秀麗な光の塊となって雲を突き抜けて、地上に天降り(あもり)された、としているのです。

ついでですが、世界中で読まれている「ハリーポッター」は、悪者が自分の魂を日記帳や宝冠など七つの品に分霊し、その七つの品を、主人公のハリーポッターと仲間たちが一つ一つ破壊して悪者をやっつける、というお話です。

さて、古事記にもありますが、古代の人は、人には四魂(しこん)が魂留(たまづめ)されている、と考えていたようです。この四魂は、①和魂(にぎみたま)-秩序と道理を守り、正々堂々、安定、協調、誠実を大切にする心、②幸魂(さちみたま)―他を思いやる心、③荒魂(あらみたま)ー目標設定、挑戦、進化向上する心、④奇魂(くしみたま)ー学習、創造する心、です。人への四魂の入り方は、人それぞれに異なります。2018319154421.jpgのサムネイル画像

詳しくお知りになりた方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子にお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

 

 

 

古事記の真説(9)人は粒子が集まってできている!?

大国主命は、兄神たちによって殺されました。しかし、母神や神御産巣日神(想念の神様)のおかげで生き返ることができました。古伝を参照し、やまと言葉を読み解くと、大国主命が生き返った場面は次のようになります。『粉々になった大国主命は、身体を構成していた粉(粒子)を集めて整形し、母神の慈愛を浸透させたところ、澄んだ目の逞しい若者にもどった』

水は水滴(粒子)の集まりです。土器は砂粒のような土でつくられます。昔の人は、ものが粒子でつくられていることを悟っていたのでしょう。そして、人もまた粒子が集まってつくられている、と考えていたようです。

ホツマツタエや天津古世見などの古伝には「あらゆるものは、ムスヒという粒子でつくられ、ムスヒの奥にはさらに小さな粒子ヌチがあり、そしてヌチの奥に極小のアメという粒子がある」とあります。如何ですか? まさに今日の素粒子論に通じるではありませんか。昔の人の知恵には本当に驚かされるではありませんか。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

 

古事記の真説(8)天照大神の岩屋戸隠れの真実-甘えとわがままは神様がもっとも嫌うもの

古事記の神話の中でもっともよく知られているのは、天照大神が弟スサノオの命のあまりにも自分勝手な行動に手をやいて岩屋戸(いわと)に隠れ、世の中を暗闇にした、という話でしょう。この話の真意は次のようです。

『スサノオの命の甘えとわがままを直すには、この方法しかない。天照大神は、地中の奥深く入り、宇宙の霊力を使ってあちこちの火山をいっせいに噴火させた。噴煙が地上を覆ったので、日の光が届かなくなり、皆困ってしまった』 このお話は神の厳愛(いずあい)がテーマです。

原文は「天照大神、見畏み(かしこみ)て、天の岩屋戸、閉(た)ててさしこもる」です。古伝を参照し、やまと言葉を読み解くと、見畏みて、は宇宙の霊力を操るのは宇宙の神様に畏れ多いことながらという意味になります。岩屋戸は地中深くにある岩盤を指します。閉てて、は戸を閉めるに加え、身を投じる、の意味があります。さしこもる、は挿し籠るで、深く入り込む、です。天照大神が地中の奥深くに入って行ったのは、身を隠すためではなく、閉じ込められている火山のエネルギーを解放するためだったのです。

この場面は日食であった、とする説があります。しかし日食はほんの一瞬です。天照大神に岩屋戸から出て再び地上を明るく照らしてもらう(岩屋戸開き)ために、神々がいろいろな策を講じる記述が長々と続くところからも、地上が暗闇であった時間は長かったことがわかります。

M8,M9の大地震があると、連動して数年の間に火山の噴火があることが知られています。古事記では、スサノオの命が地上から天界に向かうとき、大きな地震があったと書かれています。それは、火山の噴火の前兆であったことを示しているのです。

2018319154413.jpgのサムネイル画像

 

 

古事記の真説(7)禊 ー清らかになりたいと一途に想えば穢れは消える

イザナキの命が禊(みそぎ)をする場面は、「吾(あ)は、しこめしこめき穢(きたな)き国に到りて在りけり。御身(おおみま)の禊祓(みそぎはらえ)せむ」と語られています。この本当の意味は次のようです。『私の心は邪念によって穢れていた。禊祓いして清らかな状態に戻ろう』

吾は自分のこと、しこめは(女の鬼ではなく)邪念を表します。穢き国は、清らかな心の向こう側にある(仕切られた)穢れた心という意味です。到りて在りけりは、そういう状態にどっぷりつかっていたという意味です。

人が生まれたときに授かった清らかな心を素下霊(すくひ)といいます。素下霊の人を真人(まひと)といいます。禊祓いは、身添氣祓い、つまり想い(氣)で穢れを祓い(取り除いて)、真人に戻ることをいうのです。水で身体を清める禊は、水滌(みそぎ)祓いのことで、水で身体の穢れを洗い流すことをいいます(今日では、手や口を水ですすぐことで清めとすることが多いです)。イザナキの命は、この両方を行いました。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

 

古事記の真説(6)自分の心の穢れを見る

イザナキの命が黄泉の国に行ったときのことです。そこでイザナキの命が見た、イザナミの命のなきがらが蛆に噛みしだかれ雷撃を受ける光景は、イザナキの命自身の心の穢れを現すものでした。

そもそも黄泉の国は、死者の魂が天界に通じる雲梯(うなで)を上る準備をするところです。(国は、仕切りで分ける、のこと)イザナミの命がイザナキの命に自分の姿を見られるのをいやがったのは、化粧しているところを他人に見られたくないのと同じで、雲梯を上る準備をしている自分の姿を見られたくなかったからです。にもかかわらず、イザナキの命は今すぐ妻に会いたいという気持ちを抑えきれず、自分勝手に行動したため、妻の心を深く傷つけてしまいました。

古代の人は、自分勝手、高慢、狡猾、卑怯、嘘、むさぼりなどは、心の穢れがもたらすものと考えていました。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みをいただくと、やすく、また送料無料でご入手できます)

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

古事記の真説(5)イザナキの命、イザナミの命に与えられたミッション

イザナキの命とイザナミの命、この妹背の神様(夫婦の神様)は、水、樹木、川、山や野、風など自然界の諸々をはじめ、私たちの身の回りにあるもののほとんどを神様としてつくり出しました。そもそも宇宙の神様は、イザナキの命とイザナミの命に、次のミッションを与えていました。

それは「この漂っているくにをしっかりしたものに修理(つくり)固めなさい」というものでした。この真訳は『今とても不安定な状態にある地上を、生命を健全に育み、しっかり養える場所にしなさい』です。

ところで、くに(州)には、天に対する地、生命を育むところ、の意味があります。つくり固め、は安定させるという意味です。このミッションを受けて、イザナキの命とイザナミの命は、まず人の生活の場としての島々をつくり、その島々に生れた生命を養うために、水や樹木、川などの神様、そして身の回りにあるものをつかさどる神様など、さまざまな役割を受け持つ神様をつくり出した、ということなのです。

2018319154448.jpgのサムネイル画像

古事記の真説(4)日本列島は海底火山の噴火によってつくられた

さて次は、イザナキの命とイザナミの命の登場です。

古事記の解説書では「イザナキの命とイザナミの命は、天(あめ)の浮橋に立ち、天の沼矛(ヌホコ)を海に差し入れ、海水をかきまぜて引き上げたところ、その矛の先からしたたり落ちる潮が積もって島になった」としています。しかし、古事記で語られているやまと言葉を、古伝を参照して読み解くと、この真訳は次のようになります。

『イザナキの命とイザナミの命が天と地をつなぐ通路に立って、宇宙の神様からあずかった宇宙の霊力を海に差し入れると、海底火山の噴火が起こり、その噴火によって陸地(島)ができた」

天の浮橋は天の御柱の別称で、天と地をつなぐ円筒状の霊や魂が通る通路のことです。古伝では、この通路を雲梯(うなで)といっています。また、沼矛(ヌホコ)は、古伝によれば、大きな宇宙の霊力のことです。古事記を書くときに、ホコに矛の字を当てたため、ヌホコは大きな武具と解されたのです。その霊力が海底深くにあるマグマを励起して海底火山を噴火させ、その噴火によって海上にみるみる陸地ができた、としているのです。

ちなみに、ヌホコを海に差し入れるところは、原文では「潮こほろ(呂)こほろに画(か)き鳴(な)して」とあります。潮こほろこほろは、海底にヌホコを伝える様を表しているのです。ろ(呂)は連続して、の意味です。そして、画き鳴して、は海面上を、ここからここまで、と筆でなぞるようにヌホコを動かしたため、海面上に綿状に波が立ったさまを表しているのです。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます。

2018319154421.jpg

 

古事記の真説(3)身体の神様と心の神様

古事記では、続いて、人がこの世に誕生したとき生活に困らないよう、土地をつくる神様、木や作物を育てる神様、そして住まいの神様、計3組の妹背の神様が地上に派遣されたというお話があります。妹背の神様というのは夫婦の神様のことです。

そして、人の身体-姿形の神様(オモダルの神)と心-意識の神様(アヤカシコネの神様)が遣わされた、と書かれています。

オモダルは古伝によれば、面足る、で人の顔や姿形-身体の神様です。アヤカシコネのアヤは、とても大切な、を表す接頭語です。カシコネは心-意識のことです。宇宙の神様は、人に身体-姿形(目に見えるもの)と心-意識(目に見えないもの)の二つを合わせ持たせたのですね。オモダルの神様とアヤカシコネの神様は妹背の神様(夫婦の神様)です。

(このシリーズでは、ホツマツタエ(縄文時代からの真に秀でたものの伝承)やモトアケ図(宇宙における神々の配置図)などの古伝を参照しています)

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申し込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)。

2018319154439.jpgのサムネイル画像

 

古事記の真説(2)宇宙の氣ー宇宙にはエネルギーのもとが満ちている

古事記の出だしのところでは、さらに宇宙のお話が続きます。

「世界がまだ固まっておらず、ふわふわの状態であったとき、葦が芽をふくように勢いがよい神様、ウマシアシカビヒコジの神が現れた」

この真意は『宇宙がまだ混沌としていたとき、まず、宇宙の氣の神様がそこにエネルギーを供給した』です。

ウマシアシカビヒコジの神って、長い名前ですね。実はこの神様はウマシアシカビの神とヒコジの神の二柱の神様が合わさって一柱の神様になっているのです。

さて先頭のウマシは、尊い、とても大切な、を表す接頭語です。アシカビは葦芽の当て字で、一般の植物より勢いよく成長する葦の若芽を指します。この神様は宇宙に充満する生命を養うエネルギー、すなわち宇宙の氣の神様です。古代の人は目には見えないが、身の回りに感じる氣(気配)は果てしなく広がる宇宙空間にもあると悟っていたのでしょう。そしてこの氣は私たちの活動のもとになるエネルギーと考えていたようです。

ヒコジは、古伝によれば、宇宙の氣を宇宙空間の隅々に拡げる力のことです。同時に宇宙の氣を引き寄せる力という意味もあります。

いかがですか? 古事記に書かれている、やまと言葉や古伝を解読すると、今日の宇宙物理学のもとを語っていることがわかるではありませんか!?

ちなみに、古い言い伝えや記録を古伝といいます。このシリーズでは、古神道のもとともされるホツマツタエ(縄文時代からの真に秀でたものの伝承)やモトアケ図(宇宙の最高神を中心に神々が配置されているもの)などを参照しています。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円税込み)をご参照ください(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)。

2018319154413.jpgのサムネイル画像

古事記の真説(1)古代の人が語るビッグバン

古事記の神話は、そこで語られているやまと言葉の真意をもとに読み解くと、何と! 古代の人はすでに宇宙の仕組みや物理の法則をある程度解明していたことがわかります。

さっそく読み解いてみましょう。古事記の出だしは次のようです。

「天地が創られたとき、高天原(たかあめのはら)に、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)がお出ましになった。次に、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神御産巣日神(かむみむすひのかみ)がおみえになった」

この真訳は次のようです。

『宇宙は、宇宙の神様の命により、物質をつくる神様と想念の神様が協力し合って瞬時につくられた』

こんな訳になるなんて全然信じられない、と思われるかもしれません。実は古事記に登場する神様たちの名前には、それぞれに意味があるのです。最初に登場する天之御中主大神についてお話ししましょう。天(あめ)は宇宙全体を表します。御は尊重すべき、または平和に治めるという意味があります。中は中央、主はあるじです。つまりこの神様は宇宙の中心にいる宇宙のあるじで、もっとも偉大な大神様というわけです。古伝によれば、この大神様は天御祖神(あめみおやかみ)です。この神様はギリシャ神話のゼウスやローマ神話のジュピター、仏教の大日如来のように、すべてを創り出し、そのすべてを治める最高神を言うのです。

次に登場する高御産巣日神と神御産巣日神は、宇宙の大神様を補佐する二柱の神様です。古伝によれば、高御産巣日神は天並神(あなみかみ)です。並は、二つのものが合わさって目に見える物質をつくる、という意味です。高は敬意を表す言葉です。つまりこの神様は、尊敬すべき物質の神様という意味なのです。神御産巣日神は古伝によれば、天元神(あもとかみ)です。元は大きな力のもとという意味です。古代の人は大きな力のもとは想念である、としていました。つまりこの神様は目に見えない想念の神様という意味なのです。

今から数千年以上も前から、日本には、宇宙は物質と想念が掛け合わさって瞬時につくられた、という言い伝え(カタカムナ)がありました。古事記はこの言い伝えを参考にして語られたと思われます。

詳しくお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」(1350円 税込み)をご参照ください。(048-733-0713 檸檬 吉田美代子までお申込みいただきますと、安く、また送料無料でご入手できます)

2018319154430.jpgのサムネイル画像

 

古事記の真説ーこれから連載します。本居宣長も間違えた! 誤訳が生じる訳

このコラム欄では、「古事記」の神話が伝える本当の意味を、ご紹介させていただきます。神話の中から10のお話をピックアップしいたします。

あまり知られていませんが、「古事記」の神話は、古伝(ホツマツタエや天津古世見など、何千年も前からの真に秀でたものの伝承や記録)を参照し、また、そこで語られているやまと言葉を読み解くと、「古事記」は、実は宇宙物理学にもとづいた、世界最高の哲学であることがわかります。

ところで、「古事記」の筆記を担当した太安万侶自身が「自分は稗田阿礼が語るやまと言葉を記録する際、単にその発音に合う漢字を当てた(音写)箇所が多々ある。そうした箇所は、もとの(やまと言葉の)意味が伝わらないかもしれない」と述べています。

「古事記」は(平城京の完成祝いに献上するため)約四か月という短い期間でまとめられました。その頃、すでに日本古来のヲシテ文字ややまと言葉が使われなくなってから400年以上経っていました。音写の部分が多いのは、やむを得なかったのかもしれません。しかし、音写の部分は、ともすれば、当てられた漢字の意味が独り歩きします。例えば、天のヌホコには天沼矛という字が当てられています。そもそもヌホコは宇宙の霊力のことです。しかし、矛の字が当てられているので、もっぱらヌホコは武具の意味で解されているのです。このような誤訳は「古事記」のあちこちにみられます。

このコラム欄では、できるだけ古伝を参照し、また、やまと言葉を読み解いて、可能な限り「古事記」の真実に近づけるようにしたいと思います。

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

 

大丈夫って、本当はどんな意味?

「大丈夫」は、広辞苑には「立派な男子、しっかり危なげがないこと」と出ています。「大丈夫」の所以は、孟子の「目指す地位が得られたら人民とともに正義を行う。目指す地位が得られなかったら、自分一人で正義を行う。それが大丈夫の男子」の言にあります。

邪な人でもお金や地位があると、人はもてはやします。正しくてもお金や地位が無い人は、たいてい見向きもされません。しかしお金や地位が無い人にもていねいに接する、つまり、正しい人には正しく接する、それが大丈夫の人なのです。

2018319154421.jpgのサムネイル画像

 

大切なものを手放す 可能な限り身辺には何も置かず

亡父が旧制高校に入学した昭和12年、祖父は父のために豪壮で重厚な机と本箱を誂えました。

それらは私が幼少の頃から学生時代、そして社会人になってからもずっと傍にありました。その机と本箱を私は、転職にともなう引っ越しをきっかけに(財)家具の博物館に寄贈しました。ぜいたく品を好まない私は、豪壮な家具を身辺に置くことは筋が通らないとずっと思っていたこともあります。

その机と本箱は、まさに父の形見であり、何年も使っている間に私の分身になっていたのですね。寄贈して後、何年もの間、それらを手放したことを強く後悔することがしばしばでした。時々、夢にも見ました。

あるとき、私は家具の博物館に行きました。そして机が展示されているのを見て、思わず引き出しを開けました。芳香を出す木を使っているためでしょう、そこから、懐かしい香りがただよってきました。

老子(中国戦国時代の思想家)は「何もかも手放し、他人に与え、自分はさらに心豊かである」と言いました。大切なものを手放しても、ひたすら頑張って理想の境地について想いを巡らす、それが今の私の方針です。(樫野)

 

2018319154413.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

君子と小人は紙一重。君子でいると楽しいことが多くなります

2018319154439.jpgのサムネイル画像

君子は行い正しく人徳がある人、小人はこせこせして器量がない人、をそれぞれ指すことが多いです。実は、誰もが君子と小人の二面をもっています。

おだやかでさりげなく気をつかい周りの人が心地よくなるようふるまうと君子になります。一方、つい自慢したり自分勝手な行動をとると小人になってしまいます。上から目線の人、パワハラやアカハラをする人も小人です。

君子でいると人が寄ってきます。情報も集まります。そして楽しい時間を過ごすことが多くなります。君子でいることを志向する方が、気分がいいし、身体によいホルモンがたくさん出ます。人はそう創られています。(樫野)

自分のもち味が生かされないときや立ち位置がはっきりしないときは潜龍になりましょう

2018319154448.jpgのサムネイル画像

器量の無い者が高い立場に立ち、理不尽なことがまかり通る世の中で、自分のもち味が生かされないときや立ち位置が定まらないときは、ひたすら勉強して力をたくわえることです。

能力があるのに下積みがつづき、表に出られないときは、とかく落ち込みがちです。でもそんなときは、実は力を蓄えるいい機会です。とかく思い通りにいかないときは、地下にもぐって力をつける、つまり「潜龍」になりましょう。

世のため人のために活動すると気分を爽快にするホルモンがたくさん分泌される

2018319154448.jpg

世のため人のために活動すると、気分が爽快になるホルモン(セロトニンやβエンドルフィンなど)がたくさん分泌するそうです。

カトリックの修道女マザー・テレサさんは、インドのコルカタというところで、貧しい人や孤児、病に臥せっている人たちを救うために献身的に活動しました。それによって身体によいホルモンがたくさん分泌したのでしょう。マザー・テレサさんは健康で長生きし、人々からとても慕われました。

日光東照宮の三猿・本当の意味

日光東照宮の建物に三匹の猿の彫刻が掛けられています。それぞれの猿は目、耳、口を両手で隠しています。これは世の中の悪いものを見ざる、聞かざる、言わざる、という叡智を猿に掛けて表しているとされています。

しかしよく見ると、この三匹の猿は子どもの猿であることがわかります。この三猿は、親は子どもに悪いものを見せない、聞かせない、話さないを表しているのです。子どものうちから生きていく上で大事なことを身に付けるよう教えているのです。

大人は、悪いものがあったら、しっかり見て、聞いて、それを改めるよう声を出すのがいいのではないでしょうか。大人が見ざる、聞かざる、言わざるというのは、保身にはなるかもしれませんが、どこか、大事なことから逃げているようではありませんか。

「生きるってどういうこと?」

「生きるってどういうこと? 私たちは何のために生きるの?」

祖先が残したよいものを継承し、子どもたちによい日本を残すこと、そのために私たちそれぞれが進化向上を図ること(目標をもつこと)、そして何ごとによらず、純に筋を通してまっすぐに生きること、これが私たちに与えられた一つの大きな使命です。

私たちはその使命を果たすためにこの世にいるのです。

私たちには、その使命を果たすための心の働きと尽きないパワーが与えられています。そして、与えられ続けます。

それは、具体的にどのようなもの?

それらについては「紀元塾」でお話させていただいております。

このお話は、樫野著「生を尽くす」にも載っています。

(この本に関するお問い合わせ、048-733-0713 事務局)

社員の人間力を評価する尺度

社員の人間力を評価する尺度にはさまざまなものがありますが、とりあえず次の①~⑤は役に立つと思われます。

①人を侮ることなく丁寧で謙虚であるかどうか、②気持ちがゆったりして懐(ふところ)が深いかどうか、③誠実で約束をしっかり守るかどうか、④他に対してこまやかに気を配り、きびきび動くかどうか、そして何よりも、⑤他に対して思いやりがあるかどうか。(孔子の言を参考に作成)

これら①~⑤について、各項、・よく当てはまる、・まあ普通、・あまり当てはまらない、の三段階に分けて評価します。

社員を評価するとき、それぞれの分野での仕事の能力や成果をもとにすることが多いようですが、人間力を的確に評価することは意外に少ないようです。実際、上の①~⑤にそれなりに当てはまる人は、仕事に対する意欲も能力もあり、成果に期待できるのです。

例えば、①によく当てはまる人は侮られることがありません。②によく当てはまる人は頼もしい人と思われ、人がついてきます。③によく当てはまる人は役職に就けるに値します。④によく当てはまる人は仕事がよくできます。⑤によく当てはまる人には人がよく従ってくれます。

特に、昇任・昇格させるときなど、仕事に対する能力がほぼ同じなら、この①~③の評価がより高い、つまり人間力がより高い人を選ぶことが望まれます。

現実には、多くの会社で、上司の気に入りの部下やおもねたりおべっかをつかう部下を取り立てる例が多く見受けられます。こうした人事を重ねていると、いつしかその会社は衰退していきます。

客無視の販売主義が幅をきかせるという風潮は、長くは続きません。これまで、世の人たちが本当に求めているモノについてのしっかりした分析も無く、単に今は売れるという見込みでモノをつくって世に出している例は多いです。これからの多品種少量生産・消費の時代、世の人たちが本当に求めているよいモノを見極め、それをつくって提供し続ける限り、その会社は発展することはあっても、つぶれることはありません。

会社のミッションは、世の人たちが本当に求めているよいモノをつくって提供することです。

ここで評価される人間力が高い人は、そもそも能力があるだけではなく、人を観る目、世の状況を観る目をもっているものです。そして自分の持ち味やそれを生かす道も心得ているものです。

人間力が高い人が一人でも多くいる会社は、企業文化が洗練され、心地よい職場環境がもたらされます。企業文化が醸成され、洗練され、若手も働きやすい環境になります。社員は不安もなく、生き生きと活動できます。個々の社員の”お役たち力”も向上するのです。

                                                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間力を評価する尺度

孔子の言を参考にすると、人間力は、とりあえず、①丁寧で謙虚であるかどうか、②気持ちがゆったりしていて懐(ふところ)が深いかどうか、③誠実で約束をしっかり守るかどうか、④周りに気を配ってきびきび動くかどうか、そして⑤他に対する思いやりの心をもっているかどうか、について、それぞれ、よく当てはまる、まあ普通、あまり当てはまらない、の三段階で評価できます。

会社の人事考査では、それぞれの分野における仕事に対する能力評価を基本とし、人間力に関する評価はあまりなされていないようです。人間力は、この①~⑤の項目について、それぞれ三段階で評価するやり方が結構役に立つと思われます。

昇格させるときなど、仕事に対する能力が同じなら、この①~③について、よりよく当てはまる人を選ぶことが会社発展のもとになります。今日、上司の好き嫌いによる人事、おだてたり阿る部下を取り立てる、などの人事が多く見受けられます。こうした感情中心やエコひいきによる人事を重ねて会社が衰退していった例はたくさんあります。

 

一般論ですが、会社のミッションは、本当によいものをつくって世の中に提供することです。世の中の需要に的確に応えるモノを提供し続けるかぎり、その会社はつぶれることはありません。いや、発展し続けます。

今、世の中では、”客無視の販売主義”が幅をきかせているように思われます。これから多品種少量生産・消費の時代になっていくことは明らかですが、世の中の人が本当は何を望んでいるか、しかるべき分析がなく、その時点でとりあえず売れそうなモノをつくって買ってもらえればよい、という企業文化があることは否めないでしょう。

 

端的に言いますと、ここに示す①~③でよい評価を得る人は人間力が高い、と言えます。人間力が高い人は、概して人を観る目、社会の情勢を見極める目をもっているものです。また、自分の持ち味と役割が何であるか、そしてそれをどう生かすかを明確に知っているものです。さらに、志を高くもっているものです。

人間力が高い人が一人でも多くいる会社は企業文化が洗練され、伸びしろがより大きくなるのです。      

 

 

 

 

「生きるってどういうこと」(「論語」教室のご案内)

私たちは、何らかの役割をもって、この世に出されています。
論語によれば、「自分が進む道をみつけ、技芸がみについたら、それを世のために発揮する。それが、生きること」なのです。
人それぞれに、与えられた持ち味と能力は異なります。まずは、自分がやりたいこと、やらなければならないこと、を見つけることですね。
それが、当面、自分が進む道なのです。
 

 

 

会社経営者、社員研修のすすめ

「5対95則」をベースにした

「こんな会社っていいね」研修のお知らせ

詳しくは活動案内をご覧ください。

第2回「ビジネス人間学」講座のご案内

樫野紀元による「ビジネス人間学講座」

ningengaku2.JPG 第2回ビジネス人間学講座のご案内です。

人によって違いますが、心の癖とでも言うものを持っています。私達は意識無意識の中で様々な判断と選択を繰り返しながら、日々生活を送っています。

 特にビジネスシーンにおいては、この判断と選択が成果、評価、報酬など様々な有形無形に反映され来ます。原因があり結果があります。

 また、原因と結果だけではなく原因+縁=結果

的に言われる事があります。性はこの縁をトリガーとして様々な結果となって現れるのではないでしょうか。

 ビジネス人間学講座を是非、「縁」として頂いて、ビジネスにも実生活にも最良の「果」を得て頂ければ幸いです。

予約なしで、ご参加頂けます!

活動案内をご覧下さい!

 

塾頭代行 徳地良行

「政治のリーダーを選ぶ目をもとう」

「政治のリーダーを選ぶ目をもとう」

「そのなすところを視(み)、その由(よ)るところを観(み)、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞかくさんや」(「論語」為政編)

 (その人がやっていることに注意し、その言動がどんな価値観や知識にもとづいているかを確かめ、その人がどんなことで心が安らかになるかがわかれば、その人がどのような人であるか、が明らかにわかります。到底、かくせるものではありません)

 特に、政治のリーダーがどのような人であるか、よく見極める必要があります。

 具体の例はあえてお話しいたしませんが、政治のリーダーが君子であれば、市民は安心して仕事に励み、豊かな生活を送る希望を持てるようになります。一方、リーダーが小人であれば、世に悪がはびこり、市民はすっきりしない不幸な日々を送るようになります。

 (君子は、人格が立派で尊敬される人。小人は、徳や器量が無い人)  リーダーが、正しい心をもって筋を通し、理想をもって市民を導けば、必ず賛同者が増え、よりよい社会をつくることができるのです。

 私たちは、国や自治体のリーダーには、必ず君子を選ぶ要があります。

 そのために、一般市民である私たちは、いつも、今ご紹介した「論語」のこの言葉を参照する要があります。

 一つの例ですが、先日報道された、某自治体のリーダーであった人(元知事)の記者会見での話と地方議会での証言は、自分にとって都合が悪いと自らが感じたであろうところについては、それは役人や専門家、議会が決めたこと、記憶がないなど、責任のがれや自己弁護が多いという印象でした。おまけに、時々声を荒げ、傲慢ともとれる言もありました。

 「小人は諸(これ)を人に求む」(小人は自分の失敗などを人のせいにする)、「小人は驕(おご)りて泰(やす)らかならず」(小人は傲慢で思い上っていて、ゆったりしていない)、「小人は文(かざ)る」(小人は言い訳する)(以上「論語」より)

 なすところをみれば(記者会見での話と議会での証言に限り)、その元リーダーは、まさに「論語」で示される小人、と思われてもしかたがありません。

(「論語」に興味をお持ちの方は、樫野紀元著「心を元気にする論語」青春新書をご参照いただけましたら幸いです)

「階層や序列をつくるのは人間の性(さが)」

「階層や序列をつくるのは人間の性(さが)」

樫野紀元

 私たちは、家族、会社や学校、地域社会、国という階層に属しています。また、会社を例にすると、社長、役員、部・課長、係長、一般の社員というような階層があります。

 階層が上位であるほど、力があります。序列は力の大きさによって決まります。序列が上であるほど、概して収入が多いです。また、何らかの会合の際、席順は、参加者の地位や職責をもとに決められます。

 そして人は、自分が属する会社組織などで、より上の地位を求める傾向があります。

 宇宙には何億もある銀河団、個々の銀河、その銀河の中にあるいくつもの恒星、その恒星が引き連れている惑星、惑星が引き連れている衛星、という階層があります。恒星は惑星より力があり、惑星は衛星より力があります。

 会社組織をはじめ、社会のいろいろなところで階層がつくられているのは、私たちがいる社会が宇宙の縮小版(相似象)であるからです。

 自分が属する会社組織などで、より上の地位に就きたいと思うのは、ごく自然のことかもしれません。

 ところで、「論語」には次の言葉があります。

 「富と貴(たっと)きは是(これ)人の欲するところ也。その道をもってしからずんばこれを得ても処(お)らざる也」

 (たいてい、人は、財をため高い地位に就きたいと思うものです。しかし、人の道を踏み外すようなやり方で富を得、高い地位に就いたのであれば、その富や地位は自分のものにはなりません。いつか失うことになります)

 いつも、誠実に真摯に、他人の怨みをかうことなく、正々と仕事に取組むことです。思いやりをもって他の人と接することです。より上の地位は、そのうち、向こうからやってきます。

 堂々と仕事をした結果それなりの地位に就いた人を、その地位から外そうと邪に考える人がいるとします。その邪な考えをもった人が会合を仕切って、意図的に席順を下げるなどの手段をとって、その地位にいる人を貶めることがあります。

 そんなとき、貶められて嫌な思いをしても、しずかにその場をやり過ごすのが君子です。

 いたずらに上位の席順を求める人、人を貶めるために席順を下げる人、などは二流の人です。こんなとき地位や席順などにこだわらないのが君子なのです。

音楽も「5対95則」-歌は心で歌う-

樫野紀元

イラスト 加藤深雪


○カラオケでいい点を取る人は歌がうまい?

 カラオケの点数は、音程やリズム、声の大きさ、こぶしの有無などによって良くも悪くもなります。これらをきちんと歌って点数が良いと、うまいね、と歓声をあげたりします。

 でも、カラオケの点数は必ずしも歌唱力を評価するものではありません。そこには、歌う心を評価する仕組みが入っていないからです。いくら音程などを正しく歌っても、心がこもっていないと、聴く人に感銘を与えることはできません。その人は歌がうまい、とは言えないのです。

 実は、音楽も「5対95則」です。音程やリズムなど音楽の技術は5,演じる心が95なのです。歌の場合、気分がいいとき、鼻歌が出ますね。たとえ音楽の技術に沿っていなくても、そばで聴いていて心地よいものです。森繁久弥さんが歌う船頭小唄など、聴いてしみじみしますね。それは、そこに歌の心があるからです。

 もちろん、ある程度、音程やリズムなど音楽の基礎技術がないと聴くに堪えないでしょう。でも音楽はあくまでも心なのです。

 さらに言えば、心が清らかな人の歌は、耳にとても心地よく、感銘を与えます。よこしまな人の声はどこかいやらしく、聴いていて不快になります。

 指揮、歌、楽器の演奏も同様です。品格がある人の音楽は格調が高いです。がさつな人や自己中心的な人の音楽は心が落ち着きません。

○心を込めて歌うには、まず曲想をつかむ

 歌には歌詞があります。歌を作るときは、まず歌詞があり、その歌詞に合う曲を作る、というのが一般です。

 心を込めて歌うには、何よりも、その歌の曲想をつかむことが必要です。歌詞にどのようなメッセージが込められているか、そのメッセージがどのようなメロディラインに載っているか、そして、その歌のどの部分でそれを強調しているか、をつかむことが必要なのです。これが、曲想をつかむ、ということです。

○音楽に親しむ

 学生時代、東大の音楽仲間とよくつき合っていました(今でもつき合っています)。東大には、東京芸大の指揮科を出た若い人が来て、助言してくれていました。

 学生の頃、N響のコンサートマスターであった海野義雄さんのソロリサイタルによく行ったものです。熟達した技術と彼の人間力が奏でる音に、私は完全に魅せられていたのです。

 また、母の幼な友だちの、当時日本を代表するソプラノ歌手中澤桂さんのオペラやソロリサイタルに、頻繁に行っておりました。当時私は中目黒に住んでいましたが、家が近かったこともあって、中澤さんはよくたずねて来られました。そんな折り、歌のお話をよくうかがっておりました。中澤さんの練習場にも出入りさせていただきましたが、その厳しさを目の当たりにして、私は脂汗を流したことを覚えています。

 その後、縁あって、日本フィルハーモニー協会合唱団に入り、合唱指揮の灰谷先生から歌の指導を受けることになりました。おかげをもって、私は日フィル協会合唱団の団員として、日比谷公会堂、東京文化会館、新宿厚生年金会館、渋谷公会堂などに、幾度も出演させていただきました。

 オケや合唱をまとめ、音を紡ぎ出すのは指揮者です。日フィル育ての親である渡邊暁雄先生は、悠揚せまらざる雰囲気の、人を温かく包み込む大きなお人柄で、先生のオケや合唱の指揮とご指導に私は深く感銘を受けました。日フィルが当代一流のオーケストラであるのは、渡邊先生のご指導による、とつくづく思ったものです。

 渡邊先生が二千人を超える客席を背景に指揮をされる姿は、今でも、はっきり覚えています。その姿は、東大の工学部一号館の教室で、窓外の木々や緑色の板(黒板)を背景に講義をされる色白の優しい松下清夫先生の姿と、よく重なりました。

○ドリーム合唱団

 紀元塾で「人間学」の講座が始まった翌年、私は事務局の吉田さんと、ドリームという合唱団を結成しました。そこで私は、渡邊先生や灰谷先生から習ったことを活かすつもりでした。

 ドリームの皆さん、おしなべて、お孫さんがいる方々です。それに、練習の場(檸檬)は、ドリームの皆さんにとって、心楽しく談笑するサロンでもあるのです。ドリームの皆さん全員が心から楽しんで練習できることが一番です。皆さんが楽しいと、私も癒されます。

 初代の伴奏を務めていただいた国立音大のピアノ科出身の渡邊先生と相談して、音楽の基礎技術の練習はほどほどにし、心を込めて、を中心にしました。これなら全員が楽しく練習に臨めます。

 このことは、さきほどのカラオケの点数を上げる話と似ています。カラオケの点数をことさら上げようとすると(音楽の技術を高めようとすると)、一般には、ついそちらに気が向いてしまって、歌に心を込めることが希薄になるのです。

 歌に限らず、音楽の本質は心から楽しく演じ、心から楽しく聴くところにあります。音楽の技術を高めると、表面的には、うまい、という印象を聴く人に与えるかもしれません。しかし、実際には、心を込めて楽しく歌う方が、よほど聴く人に感銘を与えるのです。

 それに、ドリームの皆さんは人柄がよいからでしょう。聴いていて心地よいのです。これは必ず生かさなければなりません。

○合唱の練習

 練習は次の手順によることにしました。これは、どの合唱団でも、どの曲にも適用できる普遍性ある練習法です。

 (1)まず、曲想を理解してもらう。歌の流れを知ってもらう。さびの部分を知ってもらう。

 (2)次に、呼吸で歌のエキスをつかんでもらう。(このことは、コールユーブンゲンに載っています)極端にいうと、宇宙との相互息づかいを意識し、宇宙の波動との共振を試みるのです。ドリームの場合、私が「人間学」を標榜する以上、こうしたことを取り入れないと特徴が出てきません。

 (3)そして、ある程度歌になじんだら、幾度もフレーズの練習を繰り返し、フレーズごとにインバイト(フレーズ内での演出)を試みる。

 (4)最後に、聴く人の呼吸に合わせるように間(音符と音符との間)をとる練習をする。これも「人間学」の一環です。

 呼吸のあり方は、とても重要です。このことは歌だけではありません。オーケストラの指揮でもこれが一つの基本になるようです。ヘルヴェルト・フォン・カラヤンや小澤征爾といった一流の指揮者は、呼吸のあり方をとても大切にしているといいます。これによって、音楽の神髄、そして(宇宙ともかかわる)潤いと深みを感じ取れるよう、演奏する者の心と聴く人の心を整えて繋いでいるのです。

○ドリームの場合は、より自由に

 もちろん、音楽の基礎技術を身につけることは、歌の練習の基本ではあります。ドリームでは、より高齢(失礼!)の方、初心の方も含めて全員が、楽しんで参加できるよう、音の高低や強弱、リズムなどは、可能な限り自由なテンポやリズムで対応(ルバート)することにしました。

 これは、歌に心を込める上でも、とても効果的なやり方です。

 ちなみに、世界的に有名なイヴリー・ギトリスというヴァイオリニストは、そんな弾き方は音楽の基本にないなどと指摘されるくらい、リズムを自由に(ルバート)演奏しています。高齢になってなお、彼の演奏は聴く人に大きな感銘を与えています。

 世界的に活躍している多くの指揮者をはじめ、今人気の若い指揮者トゥガン・ソヒエフも、同様に、自由なスタイルで指揮をしています。

 実際、指揮者によっては、このやり方によって格調の高さを醸し出すこともできるのです。

 さて一般に、合唱団の人たちは、一人ひとり声の質が違います。発声にも個人差があります。しかし団員の心が一つになったとき、その歌はすごいパワーを発します。

 ドリームでも、そのパワーを少しでも出せるようにするのが私の役割でした。練習のときは、幾度もフレーズを繰り返す緊張もあれば、冗談を言い合って笑うことも多く(緊張と緩和を交互に)、楽しくやらせていただきました。

 そして練習では、「夢路より」の他、斉唱の歌何曲にも、下の音をつけました。

 二代目の伴奏者栗岡先生は、私のこのやり方をとてもよく理解してくださいました。栗岡先生は、単に私のやり方をそのまま肯定するというのではなく、練習の開始時も練習中も、適宜、意見交換し、またいろいろ助言をくださいました(楽譜にはメモがたくさん書き込まれました)。

○ドリームのステージ

 ステージに立つのも練習の一環です。吉田さんや栗岡先生と相談して、ドリームは幾度か演奏会に臨みました。

 庄和町でのライブや学士会館での会が思い出されます。いずれも好評でした。昨年七月の学士会館での会では、ドリームの歌が終わったとき、聴いていた大勢の人たちが、もう終わり? と名残惜しそうにしていました。

  昨年末は、春日部のふれあいキューブでクリスマス曲と日本の名曲を歌いました。上階にいる人たちが身を乗り出すように聴いてくれていましたし、涙して聴いていた人がいたくらいでした。

 本年四月から、また渡邊先生にご指導をいただくことになりました。私は仕事の関係で、しばらくの間、合唱の練習にうかがえませんでしたが、またドリームの皆さんとお会いする日を楽しみにしております。                      (おわり)

東京講座「生きることの意味」を聴いた人たちの感想

                                         事務局より

  2月に開講した東京講座、「生きることの意味」を聴いた皆様からの感想文をいくつか

 ご紹介させていただきます。

○とても興味深い話を聴かせていただきました。深い話なので、もっと長い時間、

 お話を聴けるとうれしいです。子どもたちにも教えられるような形を知りたい。

 学校の教職員にも。

○「5対95則」とても興味深く、納得しました。ありがとうございました。

○「5対95則」、うなずけることがあります。5が輝くように、95を大切にしたいと思

 います。

○子孫に禍根を残さぬよう、最期まで、運命を切りひらく力をもたねば、と思い

 ました。

○本日は、ありがとうございました。興味深く拝聴させていただきました。うなずく

 とばかりでした。生活の中に生かすことが大切だと再確認させていただきました。

○今回で二回目ですが、お話を聴くと、その都度「あっそうか?!」と思うところがあ

 り、とても勉強になります。自身、「人間学」の見える化をはかって行きたいと思い

 ます。ありがとうございました。

○「5対95則」勉強になりました。

○普段はまったく考えることのないテーマでしたので、非情に楽しく聴かせていただ

 きました。

○一時間だと、聴き足りないような気がします。

○お忙しい中、講話をありがとうございます。また参加させていただきます。素晴ら

 しい内容ですね。今後とも宜しくお願いします。

○カルマを刈り取ることの困難さを感じて、日々過ごしています。何をどこまで行え

 ばよいのか、の物差しがありませんので悩むこともあります。今回のお話のよう

 に、それは「積極的に耐える」ことなのですね。

       NPO主催の平成29年1月からの「人間学講座」ご紹介

「アンガーマネジメント(怒りの制御)」

 先日、埼京線で高齢の男性が乗ってくるなり、優先席に座っていた若い男性に向かって「ここはジジイ、ババアの座る席だ!お前は席を譲らないとダメなんだ!どけ!かわれ!何やってんだ!早くどけ!どけって言ってんだろ!」と大声で怒鳴ってキレまくっていました。最近「キレル老人」などの文字が見受けられますが、この事だなぁと思いました。そこで「怒り」に関する話題をお届けしたいと思います。 平成25(2013)年9月に発表された『平成24年 労働者健康状況調査(厚生労働省)』において、「仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレス」の第1位は「職場の人間関係の問題」です。この統計から、多くの人は職場でイライラを抱えている状態だと言う事が分かりました。  皆さんは「アンガーマネジメント」とか「アンガーコントロール」と言う言葉をお聞きになった事はおありでしょうか? アンガーマネジメントは、1970年代にアメリカで始まったアンガー(イライラ、怒りの感情)をマネジメント(上手に付き合う)するための心理教育です。 怒りの根本には、実は様々な感情が隠されています。その感情が何か? 怒りが起こる原因は一体どこからなのか? アンガーマネジメントとは、怒りのプロセスなどを学ぶ事によって、自分自身の怒りを理解し、コントロールしたり、癒したり、ポジティブなものへ変換させたり、自分の中でたくさんの変化が生まれ、感情がさらに豊かになり、職場での問題解決や、夫婦や友人、人間関係全般、自分の周りに関係するあらゆる物事に良い循環にしていく手法です。 「怒りの6秒ルール」と言うものがあります。諸説あるのですが、怒りの感情のピークは最大でも6秒程度と言われ、怒りを感じてから「6秒間」ただ待ち続けるだけで和らげることができると言われています。「カチン」と来てから6秒以内で発する言動は感情的になってしまう事が多く、アンガーマネジメントでは、「反射的に怒らない」ということを強調しています。 「反射的に怒らない」、「売り言葉に買い言葉を言わない」ことは、「あんなことを言わなければよかった」という自己嫌悪防止につながり、そのためには「最悪の6秒間」を耐える(やり過ごす)習慣付けをしておく必要があります。 このトレーニング方法として「呼吸リラクセーション」、「ポジティブ・セルフトーク」などがあります。最近特に注目を集めているとのが「マインドフルネス」でしょう。瞑想を基本に自分自身の内面を観察し、「反射的」反応をコントロールすることが出来るようになるトレーニングです。正しい判断基準を持つ事と、自分自身の感情をコントロールすることが、これからの社会、家庭の両面において不可欠なスキルとなるでしょう。  心理学博士でノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン博士のプロスペクト理論などについて、今後ご紹介させて頂きたいと思います。

(徳地)

NPO主催の平成29年1月からの「人間学講座」ご紹介

-1月のテーマ「生きるってどういうこと?」- 塾頭代行 徳地良行

 

私たちが「生きる意味」について樫野紀元塾長は、次のように言っています。抜粋してご紹介させていただきます。

(以下、樫野塾長の言より)

・人としての意識や心の働き、五感、周りにあるもの、そして“5対95則”を与えられてこの世にいる以上、これらを受け入れ、生を全うする。 その目的は、不安定な社会や個々の家庭をしっかりしたものにすること。

・「与えられた天命は人である」

・どのような立場も仕事も、その時点で与えられたもの。人それぞれに、その与えられた役割を“進化向上を図りながら”果たしていくとき、私たちの魂はとても喜ぶ。魂が喜ぶと、人は自ずと輝く。だから、この世で自分が輝くことができるものを見つけよ。

・宇宙は慈しみ(思いやり)の波動で満たされている。地球の周りはα波で覆われている。人は宇宙の一部だから、宇宙にある慈しみの波動と共振するとき、人は最高の至福感を得られる。 つまり、心から人を思いやるとき、最高の幸せを得ることができる。それを言動で現わせないときは、心から想うだけでよい。例えば、あの困っている人、救われるといいな、と心から想うだけでよい。“進化向上”を望んでいる人に対しては、その背中を押してあげるだけでよい。

・こうしたことを実践する姿を他に示すことが生きることの意味。

・そして、子孫に禍根を残さないことも使命。自分がつくってしまったカルマは自分で刈り取る。親や祖先がつくったカルマを自分が刈り取る。それによって、子孫に禍根が残らない。これが、この世で生きる意味。

○これらの詳細をお知りになりたい方は、樫野紀元著「生を尽くす」をお読みください。 Amazonでも高い評価を頂いております。

また、講座は、毎月第二日曜日、午後1時30分から約1時間、春日部ふれあいキューブ(県の施設)会議室で開講しております。

(参加費‐一般の方は1000円。当NPOの会員の方は800円)

(講座のお問い合わせ、ならびに「生を尽くす」のご注文は、檸檬・吉田美代子 048-733-0713まで)

 

「ビジネス人間学」講座のご案内

平成29年2月5日(日)学士会館にて開催

テーマ:生きるってどういうこと?

全4回シリーズで開催されるビジネスに役立つ考え方満載です!

各回のテーマなど詳しくは活動案内でご確認下さい。

平成29年講座案内

平成29年の講座案内を更新いたしました!

詳しくは活動案内をご覧下さい!

「5対95則」にもとづく「人間学講座」としてスタート致します。

多くの方の参加をお待ちしております。

新年のご挨拶

2017.1.1 新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い申しあげます。

ぽぽら会館4周年記念イベント-「論語ライブ」公演

 ふれあいキューブ-ぽぽらの会館4周年記念イベントで、先の庄和町での公演に続き、再び「論語ライブ」を公演しました。併せて、ぽぽらカフェも開店しました。

 樫野先生から「『論語』は誰もが本当は当たり前と心の中で思っていることを、わかりやすい言葉で表したものです。『論語』を聞くことによって、自分が思っていることは間違っていないことがわかって安心するのです」というお話がありました。

 ライブでは、わんわん村の小学生ピーワンちゃんが、日々の冒険の中で生きていく上で大切なことを学ぶ、樫野先生の作「ピーワンちゃんの寺子屋」から5話をピックアップして朗読し、それぞれの話に関連する「論語」の解説と合唱がありました。ほのぼのとしたお話と歌で、参加の皆様は、とても癒されたようでした。(事務局)

20151214165228.JPG 2015121416530.JPG

平成27年の「人間学」講座-修了証

20151214164713.JPG

これまで、紀元塾が主宰する「人間学」の講座は、

・「新論語」

・「ラーニング&リバース」

・「古事記に学ぶ人間学」

・「人生相談&今日の日本が抱える問題」

・「論語教室」

などが開講されました。参加者は延べ1200を超えます。

 平成27年は「古今東西の偉人の言葉に学ぶ人間学」でした。この講座(全12回)に休むことなく出席された方、お二人が、平成27年12月6日に修了証を受けられました。    

樫野先生の新刊案内

「生を尽くす」 ―古事記に学ぶ神秘の法則―   [悠雲舎]

 

20151110212425.jpg

〇 古代の人は、宇宙の仕組みや法則を、既に知っていました。このことは「古事記」に示されています。 えっ、「古事記」? 天照大神や大国主命が活躍する「古事記」に、そんなことが?

実は、「古事記」で語られている、やまと言葉の真意を探ると、このことがよくわかります。さらに、そこに示されている宇宙の法則をもとに「人間学」の基本が導かれるのです。本書によって、この世はこうつくられている、人はこうつくられている、私たちにどのような力が与えられているか、そして「生を尽くす」とはどのようなことか、をしっかりつかむことができます。何よりも、「古事記」の真意がわかり、新たな発見も生まれる書。

         【目次】

Ⅰ これが本当の「古事記」の世界だ!

―1300年を経て、ようやく明らかになった「古事記」の真実

「古代の人が語るビックバン」「日本は海底火山の噴火によってつくられた」「宇宙の気」他

Ⅱ そもそも「古事記」は、こうして作られた        

Ⅲ 「古事記」でわかる、こんなこと

Ⅳ 人生に活かす「古事記」 -「生を尽くす」7つの知恵―        

四六判 並製  164ページ  定価:(1,250円+税)

【著者紹介】 樫野 紀元(かしの のりもと)  『「人間学」研究家 建築社会学者 工学博士 1級建築士 』 1974年、東京大学大学院卒。建設省入省(上級職・研究職)建設経済研究室長、研究部長 を経て、公立前橋工科大学大学院教授(2001~20011年)。現在、NPO法人「ミレニアム教育・環境研究普及協会(MEE・紀元塾)」代表。

20151110212938.jpg

春日部市、新市政10周年記念イベントで、「論語」ライブを公演しました

201511595756.JPG

 庄和町が春日部市に合併して10年経ちました。これを記念するイベントが南桜井の正風館で開催され、NPO法人「MEE・紀元塾」は、「論語」ライブを公演しました。

 

 

201511595839.JPG

「論語」ライブは、樫野先生の著作「ピーワンちゃんの寺子屋」をもとに構成されてい ます。この本は、きれいな日本語の響きによって心地よく読め、読んだ後で、“よし、自分も頑張ろう”という気分にさせる「魔法の本」と言われています。以 前、朝日新聞の全国版でも取り上げられました。こども向けの本ですが、大人が読んでもとても面白いお話が14話、入っています。

 

 

 今回のライブでは、その14話の中から5話を取り上げて朗読し、関連する「論語」を紹介し、皆で素読しました。また、それぞれのお話に関連する歌を、春日部の女性コーラス「ドリーム」が唱いました。参加した小学生と保護者の皆様も一緒に歌いました。

朗読にはピアノのバックグラウンドがつき、歌のときは、ピアノの伴奏にヴァイオリンの演奏も加わりました。

 午後のひとときを、とても心豊かに過ごすことができたライブでした。

 

201511595919.JPG 

(事務局)

 

 

松尾芭蕉の話

「樫野先生、松尾芭蕉を語る」

 

 春日部の400年の歴史ある小淵観音院で、円空仏7体が御開帳され、ゴールデンウイークの期間中、お天気にも恵まれて、多くの人が参詣されました。

荒削りですが、円空の「気」が籠っているためでしょう、高さ2メートル近い「観音立像」からは、大きなエネルギーが迸っているように感じられました。(次回の御開帳は11年後です) 

 さて、5月4日、その観音院境内で、この「円空祭」イベントの一環として、「樫野紀元の人間学講座」がありました。今回は松尾芭蕉でした。

いつもながらの先生独特の語り口で、松尾芭蕉の人となりや、俳人として世に残したもの、などについて、お話がありました。

20155820520.JPG 20155821029.JPG

       [人間学の青空講座のもよう]    [観音院の山門(仁王門)]

 

 

201558205744.JPG

[観音院にある芭蕉の句碑(「もの言えば唇寒し秋の風」]

1.芭蕉って、どこの人? いつ頃の人?

 芭蕉は、1644年(寛永21年)、今の三重県、伊賀上野で生まれました。伊賀上野は、芭蕉が生まれる10年前、荒木又右エ門による「伊賀越えの仇討」があったところです。同じ年、曲垣平九郎が江戸愛宕山の石段を馬で駆け上がっています。伊賀上野は、築城術日本一と称された藤堂高虎が藩主でした。

 

2.どうして俳人になったの?

芭蕉を俳句の世界に導いたのは、芭蕉が18歳のときから料理番として仕えた藤堂良忠でした。藤堂良忠は京都の俳諧師北村季吟に師事していました。北村季吟は、俳諧の方式のもとをつくった松永貞徳に学んだ人です。

藤堂家は代々、才がある人を登用し、好きなことをやれ、が家風でした。その伝統を継いだ良忠が、一介の料理人である芭蕉の才能を見出し、北村季吟のもとに連れていったのです。季吟の指導のもと、芭蕉はめきめき腕を上げました。

 

3.いつ江戸に出てきた?

芭蕉が30歳のとき、師匠の北村季吟から俳諧作法書(「俳諧埋木」)を伝授されました。いうならば免許皆伝です。江戸は情報発信の中心地でした。ならば、一つ中央でやってみよう、思い立ったら即実行です。上昇志向を持って、芭蕉は江戸にやってきました。

芭蕉の江戸での生活は日本橋で始まりました。とはいえ、最初から俳諧で身を立てることはできません。水道工事(神田川の分水工事)に携わって生計を立てながら、胸の中では、俳諧で世に出ることを想っていたようです。

 何しろ、ときの宗匠、北川季吟から卒業証書をもらっています。江戸の俳人たちとの交流が始まりました。江戸俳壇の後見人である磐城平藩主が主宰する会にも顔を出すようになりました。

 そして、34歳のとき、桃青と名乗って念願の俳諧師、宗匠になりました。桃は邪気を排するとされる果実であり、青は純粋を表す字です。芭蕉は桃青という俳号で、自分は純粋に素直に行きますよ、という姿勢を示したのです。そして、36歳のとき日本橋から深川に移りました。深川の住居は、後に芭蕉庵と言われました。

 

4.どんな生き方を望んだ?

芭蕉は3代将軍家光の御世に生まれ、6歳のとき4代将軍家綱、36歳のとき5代将軍綱吉という、儒教を国の津々浦々まで広めつつある時代に生きた人でした。

芭蕉が13歳のとき、朱子学が、国の教育の中心に置かれました。秩序、調和、進化、礼、信をいつも考え、仁を大切に生きる。それが朱子学の基本的な教えでした。

また、朱子学では「人は天地と併存する」としていました。天にならって生きることこそ、人は本然を発揮でき、安らぎが得られる。自然の中で生きることこそが第一。芭蕉は、わび住まいの芭蕉庵も旅の笠も同じ、笠は最小の庵である、と考えたといいます。そして旅の中に身を置きたい、と想っていたようです。

この生き方が純粋な詩としての「蕉風」をもたらしたのです。

 

5.どんな俳句を作った?

 その頃江戸では、軽い口調で滑稽味を出す談林風といわれる句が流行していました。しかし芭蕉は、そんな流行にとらわれることなく、北村季吟やその師匠貞徳が大切にした伝統的な漢詩調、そしてそれを発展させた破調を活かした独自の吟調をつくっていきました。

そして、ごく身近な日常の題材を、趣向、作意を加えず、素直に表す詩句をつくるようになりました。伝統的なものを平易な言葉で伝えながら日常の情景をたんたんと詠むという句風をつくっていったのです。これは「蕉風」と言われました。

「行く春や鳥なき魚の目はなみだ」「春なれや名もなき山の薄霞」

「枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮れ」「秋深き隣は何をする人ぞ」

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

 芭蕉は、門人が談林風など「蕉風」とは異なる俳句を作っても、特に意見を言わず、容認した、といいます。藤堂家の環境にいたことが影響しているのかもしれませんね。

 

6.どこへ旅した?

 芭蕉は生涯で四回、旅に出ています。四回とも、故郷の伊賀に帰っています。

40歳のとき「野ざらし紀行」と言われる旅に出ました。江戸、伊賀、大和、吉野、また伊賀、そして木曽、江戸という旅程でした。旅で見聞きしたものを素直に詠んでいます。「野ざらしを心に風のしむ身かな」 有名な、「古池や蛙とびこむ水の音」は、実は旅から戻って、江戸で詠んだ句です。静寂を際立たせる手法を考えていたようです。

 43歳のとき「笈(おい)の小文」の旅に出ました。笈は仏具や衣類、食器などを入れた、修験者たちが旅のとき、背負った箱です。このときは、お伊勢参りが主でした。故郷の伊賀にも寄っています。

 45歳のとき、「奥の細道」の旅に出ました。約2400キロの旅でした。    江戸、下野、陸奥、出羽、越後、加賀、越前、伊勢、伊賀、京都、江戸という旅程で、45歳ででかけ46歳で戻っています。多くの門人ができた旅でもありました。

「夏草やつわものどもが夢のあと」「しずかさや岩にしみいる蝉の声」

「五月雨を集めて早し最上川」「荒海や佐渡によこたう天の川」

 そして50歳のとき、伊賀、奈良、大坂への旅に出ました。芭蕉は大坂で体調をくずし、死去しました。「旅に病んで夢は枯野をかけまわる」

 

7.俳句を通して、何を残した?

芭蕉が俳句を通して残したものは、「純粋な詩の精神」でした。

いつも自然体で、難しいものをわかりやすく説く、「松のことは松に習え!」それが芭蕉の基本的なスタンスであったと思います。

(事務局)

 

○なお、当日ご参加をいただいた、俳人、嶋青桜さんによる、観音院に関する俳句をご紹介いたします。

「青葉風眼も掌も落としなほ仁王」(嶋青桜)

「円空の七仏たてる若葉かな」(嶋青桜)

 

樫野紀元の「人間学講座」の感想

樫野紀元の「人間学講座」第3回のソクラテス、第4回のゲーテ、それぞれの講義の感想の一部をご紹介します。

 

「ソクラテス」

○話がまとまっていて、とてもおもしろかった。

○ 話が、とても深くて、よかった。

○ 「偉人、聖人の言葉の根っこは同じ」に感銘をうけました。

○ ソクラテスについて、勉強しようと思った。

 

「ゲーテ」

○LOVEの語源が、わかりました。どんなものにも存在する意義がある、と言う言葉が印象にのこりました。

○万宗同根、オキシトシン、人の目的は生きること、を解説してもらい、前を向いて生きて行こうと思えた。背中を押してもらいました。

○自然の偉大さに心を打たれることが多くあります。その時は、純粋に感じているからだと言うことを知りました。

○ゲーテの活力の源について知り、その人柄がわかったような気がする。

○ゲーテという名前だけは勿論しっていたが、人生を通して、一生恋愛をしてきたことが面白く、自然の摂理を学んだ。

樫野紀元の「人間学講座」の感想

樫野紀元の「人間学講座」全12回がスタートしました。第1回は一休さん、第2回は、吉田松陰でした。それぞれの講義の感想の一部をご紹介します。

 

「一休さん」

先生の講義で一休さんの本当の姿がわかりました。

一休さんの名前のいわれは、ウロ路(煩悩がある心)からムロ路(煩悩が無い心)への一休みからきている、という話を聞いておもしろかったです。

哲学というのは、むずかしいというのが通り相場だと思っていましたが、今日の講義で「人間学」にとても興味をもちました。

 

「吉田松陰」

松陰の第一の憂いは、“国が良くない状態になっていることを国民が知らないこと。”それは、まるで現在の日本にそのまま通じると思いました。

松陰の人間関係、背景がわかり良かったです。

奥の深い話でした。もっと聴きたかった。講義の時間、もう少し長い方がいい?

激動の時代を生きた松陰の短い人生。 多くの人に影響を与えたのですね。

 

 

毎回の講義に、樫野先生の情熱を感じます。以上、2回目までの感想例でした。

 

ところで、2回目の吉田松陰の講義の前に、「人間学」とは何か?という問いかけに答えて下さった先生の答えは「心地良い環境をつくることの学び」ということでした。えっ、それが樫野流「人間学」!先生の回答の意外性に皆さんびっくりした様子でした。

「人間学」の熱い講義、楽しみです。

(吉田美代子)

ポポラ春日部オープン3周年記念イベント  NPO「MEE・紀元塾」講演会

ポポラ春日部オープン3周年記念イベントの一環として、NPO主催の講演会が開催されました。以下は、その梗概です。

「愛ってなんだ? 本当の愛って何?」

-偉人・聖人の言葉に学ぶ-

樫野紀元

 

愛という言葉から何を連想しますか? 

まずは、愛という言葉がどのように使われるかみてみましょう。 

親兄弟の愛(子への愛、家族愛)、男女の愛、隣人愛(貧しい者や弱者への愛)、帰属するところへの愛(会社、学校、故郷、町、国)、仕事に対する愛、師弟愛、友人愛、好きなことに対する愛(趣味、嗜好品)、「気」が入っているものに対する愛(職人技)、伝統に対する愛(城郭、寺院建築、浮世絵、刀剣、伝統工芸)、そして動物や自然に対する愛……。

素敵なものや可愛いものを、愛する対象にする場合もあります。

 さまざまに、愛という言葉が使われますが、実は、「世話をする、思いやり」が愛という言葉の本質なのです。これは、英語のloveの原意でもあります。その愛によって、自分も周りも、とても心地よくなります。

関連しますが、美という言葉は愛に通じる言葉です。美は心地よいと感じるもの、を言います。心地よく晴れた日は、英語でbeautiful(美しい)と言います。

 ギリシャの哲学者、プラトン(前427~前347)は、「神々の間では、愛、美しいものへのエロス(思慕の情―恋)がもとになり、その上に万事が整えられ、秩序立てられている。何故なら、醜いものへのエロスはあり得ないのだから」と言っています。愛がすべてのもとになっている、と言っているのですね。

 エジプト生まれのギリシャ系哲学者、プロティノス(205頃~270頃)は、「人の究極の目的は美であり、それは愛のみなもとである神とのエクスタシス(秘合)によってもたらされる」としました。自分の精神が、物質志向ではなく、非物質である神様(愛)の精神と一致することが、内面から輝き、美しく生きるもと、と説いているのです。

「物質志向ではなく、よい精神を持つことを大切にする」。これは、かつての日本人の価値観でもありました。 

 人は愛を実践するとき、オキシトシンなどのホルモンが分泌されます。それらのホルモンは、免疫力を高め、若返りと長寿のもとになるそうです。

本当の愛によって、人生はとても充実し潤うのです。